トルコ各地でカーディルの夜(御稜威(みいつ)の夜)を感じたい市民たちがモスクに押し寄せた。モスクは、この神聖な夜に人で溢れ返った。
■イスタンブル
カーディルの夜、スルタンアフメト・モスクには人々が押し寄せた。スルタンアフメト広場でイフタール(断食明けの食事)をとった人々は、モスクでタラーウィーの礼拝(訳者注:ラマダーン月の夜に行われる礼拝)を行い、祈りを捧げた。
イスラム世界で最も神聖な日のうちの一つであるカーディルの夜、スルタンアフメト広場は多くの人で溢れ返った。何百人もの人々が、夕刻に広場の芝生の上で食卓をつくり、ここでイフタールをとった。イフタールに続き、非常に多くの人がタラーウィーの礼拝のためにスルタンアフメト・モスクに押し寄せた。モスクの中や庭に場所がなくなると、一部の人々は草の上で礼拝を行わなければならなかった。人々は夜が更ける時間帯までコーランを読み、メヴリディ・シェ リフ(特別な夜に読まれる、ムハンマドの誕生や人生についての詩)を聞き、たくさんの祈りを捧げ、許しを乞うた。また、祈りのためにモスクへ来た人々へロクムと水の施しが行われた。
アヴジュラル区はラマザン期間の催しの最終日としてカーディルの夜に、1万5千人へイフタールをふるまった。区の広場やアタテュルク公園、エメキリレル公園、新たにつくられた公園に設置されたテーブルと椅子が午後4時以降人でいっぱいになった。イフタールでは、3種の食べ物に加えスープとアイランがふるまわれた。場所を見つけられない者へは、婚姻局の向かいの公園に建てられたテントから食事がふるまわれた。ハンダン・トプラク区長は、イフタールの前にそれぞれの机を回ってイフタールに来た者たちへ感謝を述べ、カーディルの夜と来たるラマザン・バイラムを祝い、以下のように話した。「誰にも腹を空かせたまま寝床に入ることを許しません。我々が用意した食事処で、貧しい者あるいは面倒を見るものが誰もいない者のために準備した食事を、職員がそれぞれの家庭にふるまっている。」
ベイリキドゥズ区でも、カーディルの夜にイフタールの食事が用意され、1万人の市民が同じテーブルについた。ベイリキドゥズ区は、ラマザン月の間、(ボランティアが)家々の客として家族とともにイフタールを囲み、貧困層の家族に温かい食事を提供し、カーディルの夜に1万人の市民をイフタールに招いた。ベイリキドゥズの屋内市場に準備されたイフタールのプログラムへ、CHPのイスタンブル支部長のムラト・カラヤルチュン氏が、ベイリキドゥズ区長のエクレム・イマームオール氏と多くの市民が参加した。イフタールのプログラムの準備を開始数時間前に完了させたベイリキドゥズ区は、カーディルの夜の精神を共有することを望む市民たちを一か所に集めた。数分前に会場に到着したベイリキドゥズ区長のエクレム・イマームオール氏は、各テーブルをまわって客人たちに挨拶をした。コーランの詠唱とともに始まったイフタールのプログラムで、アザーンが詠みあげられると、何千もの市民が祈りとともに断食を明けた。
<中略>
■カーディルの夜の重要性
ラマザン期間の最後の10日間のうちどれかにあたると信じられているカーディルの夜は、今年、ラマザンの26番目の夜である7月13日日曜日となった。イスラム教でコーランの啓示が始まったとされるカーディルの夜は、「天国の扉が開かれ、祈りと後悔が受け入れられる祝いの夜」として受け入れられている。コーランの「みいつの章」でこの夜は以下のように説明されている。「確かに、我々はそれ(コーラン)をカーディルの夜に示した。カーディルの夜がなんであるのか、何があなたに理解させるのか。カーディルの夜は千の月よりもめでたいものである。天使たちと聖霊(天使ガブリエル)がその夜、神の許しをもってすべての定めをもって降りてくる。その夜は、すべて平安!夜明けまで。」
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:鈴木歩実 )
( 記事ID:38155 )