各種の広告(al-Hayat)
■ラマダーン広告:厳しい現実と懐古の狭間で
【カイロ:アミーナ・ハイリー】
ラマダーン広告とは戒めであり、説教であり、人を惑わす教えであり、美しい過去への郷愁であり、辛い現実の拒絶である。場合によっては脅しとなり、時には欲望を掻き立てるものである。必ずしも倫理的に、もしくは欧米で言われるように「政治的に」正しいとされるものではないとしても、ラマダーン広告とはかなり楽しめるものである。また一方で、たとえ広告の受け取り手が分別のある、賢明な、自分の行動に責任を持てる大人であったとしても、ラマダーン広告は時に多くの人々を搾取し「馬鹿にする」手段となる。
新商品の説明や描写、これまでの社会的価値や倫理的原則が想定しなかったものを詰め込んだ広告といった既知の宣伝要素に加えて、今年の広告は、これまで存在しなかった美しい心の琴線、もしくは厳しい出来事の中に薫る繊細な感覚の琴線に触れるもので溢れ返っている。これらは人々を欺いたり、騙したり、憧れを抱かせたり、何かを熱望させたりする類のものである。
人々がラマダーンに対して望むものは、この恵み多き月を心待ちにすること、そしてその精神主義や意義、立場といったものに留まらない。ラマダーンが発展するにつれ主要な要素となった、テレビ的側面も含むのである。広告の規模が拡大し、その様式が発展し、メッセージが多様化するにつれ、一度は力ずくで、また一度は消費を脅しながら、そして三度目はその意味を考えさせる形で広告はラマダーンを覆ってきた。
今年のラマダーン広告のその内容の意味を考えさせる傾向は、ある決定的な結果につながっている。通信・不動産業界の集中的な資本が広告市場における地位を獲得しているのである。かつて前面に出ていたのは、油や石けん、お茶や砂糖といった商品であった。この背景には、広告の製作側に、伝統的ではない新たな視点を楽しむ若い世代が出現したことがある。彼らによって、思考の源、娯楽の泉、連帯の広場となるような広告が生み出されている。
(後略)
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:増田まい )
( 記事ID:38164 )