リポート〜RPGをこよなく愛するムッラー・オマルの知られざる正体(2)
2015年07月30日付 Jam-e Jam 紙
噂では、ムッラー・オマルはウサーマ・ビン・ラーディンの年長の娘を娶ったとされ、ビン・ラーディンも、ムッラー・オマルの娘を4人目の妻に迎えた可能性が取り沙汰されている。また、この2人は毎日、衛星電話で互いに連絡をとり合い、時々一緒に釣りに出かけていたとも言われている。
彼の愛した武器
多くのアフガン人にとって、ムッラー・オマルは名前のみを知る存在だが、彼を見たことのある人々の証言によれば、彼は比較的若く、背が高く、あごひげを生やし、黒いターバンを巻いており、パキスタンに暮らしていたという。ムッラー・オマルのお気に入りの武器は〔ソ連製対戦車ロケット砲の〕「RPG7」で、ターリバーンによると、彼はRPGから発射されるロケットを使って、ロシアの戦車を狙い打ちすることに長けていたという。
ムッラー・ムハンマド・オマルは2013年8月6日のフィトル祭(断食明けの祭り)に際して発出したメッセージのなかで、外国軍がアフガニスタンから撤退した場合、ターリバーンは権力を独占するつもりはないと強調していた。
ターリバーン報道官の住所から各メディアに、ペルシア語、パシュトゥー語、ウルドゥー語、および英語の4言語で発信されたこのメッセージのなかで、ターリバーンはイスラームのシャリーア(聖法)に基づく、包括的なイスラーム統治体制を樹立すべく、アフガニスタンの各政治勢力との相互理解に邁進するつもりだと、同指導者は述べていた。
このメッセージはアフガニスタン政府とターリバーンの和平協議のプロセスに対する支持が暗に表明されており、これを機に、アフガニスタン大統領も自身のフィトル祭のメッセージで彼に謝意を表したのであった。
ムッラー・オマルは、ある人びとにとっては伝説的なイメージを獲得していたが、別の一部の人びとにとっては諜報機関がでっち上げた謎めいたイメージを帯びた人物であった。
この記事の冒頭に戻る
原文をPDFファイルで見る
( 翻訳者:MSK )
( 記事ID:38400 )