軍から得た情報によれば、100メートル間隔で700キロの爆発物を仕掛けたテロリストは、まず兵士を兵舎から出すために(爆破) 通報をおこなった。爆発物を処理するためにやってきた最初の装甲車両を攻撃したPKKメンバーは、支援のため送られた別の装甲車両の通過時に、「遠隔操作地雷」の信管をケーブルで爆発させた。
ダールジャで、近年最大のテロ攻撃のひとつが実行された。
この攻撃からほぼ24時間経過したにも関わらず、殉職者の数は明らかにされておらず、この過程で報じられた憶測記事は、トルコ(国民)が現場から到来するニュースに対し不安により耳を塞がした。
結果は、16人の兵士の殉職であった。
7日のことである。攻撃のやり方、そして、参謀本部がなぜこのように遅れて会見をおこなったか、政府がこの事件後のテロとの闘いを継続する方法に関し、私が入手した情報を以下に記する。
■通報後の待ち伏せ
9月4日からその日まで治安部隊は集中的な軍事作戦を行い、35人のテロリストを無力化(殺害)し、地域は、すでに強力な治安対策がとられていた。
PKKは最近、絶えず道路に手製の仕掛け爆弾を敷設して攻撃を行っていることにより、治安部隊は特別にこの問題(仕掛け爆弾)に関する密告を真摯に対応を行っていた。
一昨日の14時55分にダールジャ・ギュルカヴァック付近に爆発物を仕掛けたとの密告があった。これにより、駐ダールジャ大隊から地雷および仕掛け爆弾対策チーム(METİ)を現場へ即座に派遣した。
PKKの「三段階の待ち伏せ」計画の最初の一歩の密告は、METİチームが現場に到着することで実現した。到着した現場には、3つの仕掛け爆弾がありMETİチームの3人が爆発物を処理している間、山岳地帯から(トルコ軍)兵士に向けて発砲があった。
METİチームが現場に向かう際に、爆発物を使用していないテロリストは、この発砲後に同チームの上級軍曹1名に軽傷を負った。
同チームが攻撃にあったことは、即座に大隊に伝えられた。これにより、ダールジャ大隊司令部歩兵部隊イルケル・チェリキジャン中佐が率いる9人の兵士は、装輪装甲車両で事件現場へ派遣された、
■中佐の心ある上級軍曹だった
この車両が15時から15時30分の間、現場を通過する際にテロリストが道に仕掛けた爆発物を爆破させ、チェリキジャン中佐と8人の兵士は殉職した。
チェリキジャン中佐は、自分の隊の上級軍曹が負傷したことを知り、そのため急いで行動し、兵員装甲車で(現場へ)向かっているとき殉職したという。赤紫色のベレー帽をかぶったチェリキジャン中佐は、実地任務を同地でおこなった士官であった。陸軍士官学校を卒業し参謀となり、今回、同地域の大隊司令官として任命された。
この事件を受け、同地域へコブラ型ヘリコプターを派遣する一方、カミシリからも兵士の一団が向かった。7人のMETİチームの目的は同地域の(爆発物を)除去することであった。しかし、このMETİの通過ルートで二つの地雷が爆破され、7人の兵士も17時30分ごろに装甲車で殉職した。
■遠隔操作地雷
事件が起きた場所でテロリストはおよそ100メートル間隔で仕掛け爆弾を埋設したといわれている。
軍が「遠隔操作地雷」と説明した爆発物は、上部のアスファルトが剥がれ落ちていたことにより気づくことはほぼ不可能であり、事前に埋設された地雷を遠方から指令をだし爆発させた組織は、トルコ国軍(TSK)が妨害電波を使用したことにより携帯電話に代え、地雷を沿道よりケーブルを使って爆発させたという。
二つの仕掛け爆弾攻撃の双方ともこの方法で実行された。装甲車を狙った全ての仕掛け爆弾は、700-800キログラムの破壊力の大変強い爆発物であったという。
■1万発の銃弾
類似の攻撃後に(爆弾を)爆発させて、即座に逃亡するテロリストの計画は今回違っていた。
北部及び南部の特定の地点に二つの方角に展開したテロリストは、介入のために来た陸軍、空軍に発砲し、重火器でおこなわれた攻撃で1万発近くの銃弾を発射したといわれている。
はっきりとしていないが、殉職した16人の兵士の一部は、爆発による負傷を免れた可能性がり、車から出た後の銃撃によって命を落とした可能性がある。
二つ目のチームが攻撃されたあと、一人の大尉が指揮する戦車部隊が現場へ派遣された。
(後略)
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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:38607 )