パルミラ遺跡(Reuters)
■シリアのパルミラは女王ゼノビアの元からダーイシュの手に
【ドバイ:マーヘル・ナブワーニー(本紙専門学校)】
シリアの砂漠の中央に位置するパルミラ遺跡は、最も重要な古代都市の一つであると、世界的に認識されている。その町の名は、紀元前18世紀の粘土板にも登場した。町は世界中の旅人や考古学専門家を惹き付けた多数の考古記念物を有していた。しかし、シリアでの紛争はパルミラにも影響を及ぼし、ついにIS(ダーイシュ)の支配下に置かれることになった。ダーイシュは既に多くのパルミラの有名な記念物を破壊している。
「砂漠の真珠」とも呼ばれるパルミラは、10平方キロメートルを超える地域に分布している多数の遺構により特徴付けられる。そして、この古代都市は、彫刻の施された石の他、日干し煉瓦や石材などで構築された周壁に囲まれている。そして、カナン人やアムル人、アラム人がこの町に、相次いで居住した。
国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、パルミラを含むシリア国内の6つの遺跡を、世界遺産リストに登録した。またパルミラには、3000年以上前に遡る遺物を所蔵する大きな博物館もある。
また、アルス 神殿やベール神殿、バアル・シャミン神殿、ナブー神殿、アッラート神殿、列柱道路、凱旋門、浴場、元老院議事堂、公衆市場、墓の谷、塔墓のほか、1000本以上の柱などは、パルミラの最も重要な遺構であるとみなされている。
パルミラは、非常に著名な観光の名所の筆頭であり、毎年15万人以上もの旅人がこの町をめざして訪れていた。また、パルミラは、270年ごろ、ゼノビア女王のもとで、その最盛期を実現した。その時代には、パルミラは支配をレバント地方全域にまで広げ、エジプト以外では小アジアにまでその勢力は達していた。
(後略)
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( 翻訳者:佐藤モエ )
( 記事ID:38818 )