警備体制はとられていなかった:アンカラ爆破テロ生存者の証言
2015年10月11日付 Zaman 紙

マラティヤからアンカラの平和集会に参加した公務員労働組合の職場代表サミ・ポラトは、爆弾が爆発した場所から電話をするために30秒前に離れていたと述べて、寸前で助かったと述べた。

サミ・ポラトは、アンカラで96人が犠牲となった爆弾テロの瞬間を語った。テロから幸運にも救われたポラトは、次のように続けた。

「私達はここで友達と集まってバスでアンカラに行った。ご機嫌に、平和の歌を歌って出発した。アンカラのバスターミナルに着いた。ここで参加者は増加し、列をなしてスヒエの方角へ歩いた。駅の入り口で携帯電を充電した。友達と会った。メルスィンから来る予定の友達に電話をかけるために、参加者の中から30、40メートル離れた。電話で話しやすいように離れた。その時爆弾が爆発した。2回爆発した。とても強力で大きな音が聞こえた。爆発の後に友達の体と肉片が私の上にも降ってきた。人々の臓器が破裂した。私達は負傷者を救助した。その間も私達の上をガス爆弾や銃が使用され、放水がされていた。私達に向けられたものか、人がいないところを狙ったのかは分からない。誰が使用したのかもわからない。その時、私は死ぬだろうと思った。少なくとも負傷者を救助するように努めた。皆の共 通の意見は、平和の支持であった。全くこのようなことが起こるとは予想していなかった。友愛の風船が私達の手にはあった。私達が知っている11人、つまり、マラティヤから来た11人は亡くなった。私は、爆弾が爆発した場所から30、40秒前に離れた。電話で話をするために離れなかったら、私もそこにいたはずだった。数秒の差で助かった。」

■警備体制はいなった

警察の検査はなかったと説明したポラトは、「以前にマドクの虐殺を追悼するためにシヴァスに行った時、警察の持ち物検査を目にした。今回誰もが検査なくその場所に 入れた。ここでは、警察を誰一人として見なった。アンカラに入る際も持ち物・身分確認はなかった。警官隊もいなかった。つまり、もはや私達は安全な環境で生活し ているわけではないのである」と述べた。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:38894 )