無策の3日間―アンカラ・テロ、3日前から情報があった
2015年10月16日付 Hurriyet 紙
旅行者のようにぶらついていた、三日前から警告があった…容疑者の名前もあった…写真もあった…彼らはアンテプから自家用車で来て、アンカラで朝食をとっていた…。
アンカラを血で染めた自爆攻撃の容疑者として、ユヌス・エムレ・アラギョズがカメラ映像とDNA鑑定から、オメル・デニズ・デュンダルがカメラ映像により特定された。ユヌス・エムレ・アラギョズはスルチ県での自爆犯の兄で、4ヶ月捜索が行われていた。
10月10日、「努力、平和、民主主義」の集会前に99人が死亡した襲撃の後に行われたアンカラ検察と情報テロ警察の捜査で、2人の自爆犯の身元にたどり着いた。爆発の瞬間と、爆発前について行われた捜査で、両名共アドヤマンに本籍を置き、「イスラム国」と関係があるユヌス・エムレ・アラギョズとオメル・デニズ・デュンダルであることが映像から特定された。カメラ解析ではアラギョズとデュンダルが自家用車でガーズィアンテプからアンカラへ移動し、ギョルバシュ郡で降りたことが明らかになった。道端でタクシーに乗った自爆犯らは、集会の会場から10分ほどの場所にあるバルガトのカフェへ立ち寄った。2人の自爆犯は、朝食をとり、ミーティングのの集合時間を待った。
■タクシーで駅へ移動
自爆犯2人はその後またタクシーに乗り、アンカラ駅前の広場へ移動した。2人は集会のために広場へ歩いて向かうグループの間に混ざって、攻撃地点へたどり着いた。それぞれ別の場所で集会参加者が集まるのを待った2人の容疑者は、少し待機した後、自爆を決行した。「イスラム国」と関係するアドヤマンの「ドクマジュラル」集団に所属するアラギョズとデュンダルが、スルチ県の自爆犯シェイフ・アブドルラフマン・アラギョズ、そしてディヤルバクル県のHDP集会で爆弾を仕掛けたオルハン・ギョンデルのように、組織のガーズィアンテプにおける「潜伏した細胞」で攻撃を計画したことが明らかになった。
スルチ県の自爆犯の兄であるユヌス・エムレ・アラギョズともう一人の実行犯オメル・デニズ・デュンダルは、よく知られ、諜報機関が追跡していた名前だった。彼らは4ヶ月に渡って捜索されていた。スルチ県での自爆攻撃の後、警察の諜報部によって作成され、7月に81県(トルコ全土)の警察組織に送られた16人の「自爆」実行犯リストにも含まれるアラギョズとデュンダルの写真個人情報も全ての組織で共有された。
■3日前に名前が通知される
アンカラでの攻撃の3日前、集会で自爆または爆破攻撃が起きる可能性があるという情報があり、アラギョズとデュンダルも含まれる16人のグループの数名によって攻撃が行われるという情報が共有されていた。提供された情報に基づき、アンカラでは多くの地点で捜査が行われたが、攻撃者は見つからなかった。
諜報部の情報、写真と個人情報があったにも関わらず、なぜ攻撃を防ぐことができなかったのか議論されており、この問題に手抜かりがあったと評価されるアンカラ警察署の諜報部と治安部のトップらが解任された。
アラギョズやデュンダルに関連する捜査で、自爆犯が使用した車の持ち主と運転手、ガイドをしたとされる3人がガーズィアンテプで見つかった。アンカラでこの3人と関係があると思われる2人と、やはり「イスラム国」とつながりがある3人の計8人の容疑者が逮捕された。
■記録はウヤプに
警察が追跡していたアラギョズとデュンダルに関して、UYAP(国内司法ネットワークシステム)とGBT(基本情報ブラウジング)で捜査記録があり、自爆実行者として捜索されていたという。シリアで「イスラム国」の教育キャンプで爆弾についての教育を受けたとされる2人の攻撃者が、テロを起こす人物としてマークされた時期にアドヤマンの家族とあっていたこと、また最近4ヶ月は行方不明となっていたことも明らかになった。
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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:38919 )