ディヤルバクルの中央にあるカヤプナル郡で、イスラム国(IS)のテロリストが使用した住居に明け方強制捜査が実行された。強制捜査によって、住居の入り口に仕掛けてあった爆弾の爆発によって、警官二名が死亡、5人の警官が負傷した。衝突で7人のテロリストが死亡し、12人が拘束された。
ヌマン・クルトゥルムシュ副首相兼政府スポークスマンは、「7人のダーイシュ(DAEŞ)の兵員が殺害されて、12人が拘束された。2人の殉職者以外に5人の警官が負傷した」と発表した。
ディヤルバクル県警の隊員は、市街で、ISのテロリストに対して行った攻撃の後、今日の午前3時から、事前に明らかにされていた17の別々の拠点へ同時に作戦を決行した。
作戦の一環として、チームは、中央のカヤプナル郡のフズルエヴレリ地区の第53番通りにある庭つき一戸建て住居に突入した。テロリストたちは、警官が押し入った家の庭に前もって仕掛けておいた爆弾を爆発させた。
激しい爆発によって、特別機動隊に勤める5人の官が負傷した。負傷した警官は、通報を受けて駆け付けた救急車によって病院へと収容された。しかし、重篤だった二人の警察官は、懸命の処置も実らず、殉職した。5人の警官は、ディジレ大学医学部病院で治療を受けた。
爆発の後にISは立てこもった住居から警察官に向かって自動拳銃で攻撃を開始した。警察もこれに応酬したために起こった攻防は、何時間にもわたって続いた。警察は安全の確保のために通りの入り口と出口を閉鎖し、そこでは銃声と爆音が響いた。
強制捜査が行われた住居から煙が上り、消防隊員と救急隊員も一帯に駆けつけるのがみられた。
衝突で7人のテロリストが死亡し、12人が拘束された。拘束されたテロリストは警察署移送されて尋問された。
ディヤルバクルで、警察が強制捜査を実行した家にいて、治安部隊と交戦を開始したテロリストの何人かは、「自爆テロ」の準備をしていたことが伝えられた。交戦と強制捜査が行われた道路と周囲の地区で厳重な警備体制が敷かれた。
■ディヤルバクルでから、チョルムヘ殉職者が帰還
ディヤルバクルでISに対して行われた強制捜査で殉職した特別機動警官のうち22歳のギョクハン・チャクジュはチョルムにある家族の家へ帰還した。
ディヤルバクル警察が、ISに対して実行した強制捜査の一環で、明け方に中央のカヤプナル郡フズルエヴレリ地区にある住居に突入した。特別機動隊によって行われた強制捜査で突入した住居で警官へ爆弾が投げつけられた。この爆発で2人の警官が殉職した。
犠牲となった警官のうちのギョクハン・チャクジュは、チョルムにある、家族の家へ、帰還した。アッケント地区のTOKİ(集合住宅局)建設の住宅に暮らす家族へ殉職の知らせが救急隊員を通じて、県警察本部長ムラト・コルジュによって通達された。訃報を知らされた、父親のエルギンと母親のヌルギュル・チャクジュは平静を失った。救急隊員が対応した殉職者の家族 は、近親者によって、落ち着かせられた。
■殉職者の兄も、特別機動隊員
犠牲者の兄であるエルシン・チャクジュ(24)もトゥンジェリで特別機動隊警官として任務にあたり、そして一週間前に夫人の出産の知らせを受けて、チョルムへと戻っていたことが明らかになった、エルシン・チャクジュは訃報を受けて、泣き崩れた。
殉職者のギョクハン・チャクジュは二年間、警察官として職務にあたっていたこと、そして最初の赴任地がディヤルバクルだったということが分かった。チャクジュさんは、独身であり、ドドゥルガ郡で埋葬されたということが伝えられた。
犠牲者のチャクジュの親類であるドドゥルガ首長のムスタファ・アイドゥンは、父親のエルギン・チャクジュが、チョルム市の公園と庭園課責任者として職務についていたということ、家族は、チョルムに20年間居住していたことを明らかにした。殉職者の兄も警察官であるとしたアイドゥンは、「殉職者の兄も一週間前に父親となった。子供を見るためにチョルムに戻ってきて、到着して訃報を知らされた。故人をドドゥルガに埋葬します。死者にアッラーのご加護がありますように、皆の痛みは大きいです。お悔やみ申し上げます」と話した。
■知事の発表
ディヤルバクル県知事は、市街でISに対して行われた捜査によって、警官のギョクハン・チャクジュとサードゥク・オズカンが犠牲となり、5人 の警察官が負傷し、そして7人のテロリストを殺害し、12人の組織メンバーも拘束されたと発表した。発表では以下のように述べられた。
「ディヤルバクルで、ダーイシュのテロ組織メンバーを拘束するために2015年10月26日の明け方に多くの住居と、オフィスへ同時に強制捜査を実行した。強制捜査によって、カヤプナル郡フズルエヴㇾリ地区のある住居で衝突が勃発し、これによって警察官のギョクハン・チャクジュとサードゥク・オズカンが犠牲となった。その後、5人の警察官が負傷して、治療が、搬送先の病院で続けられているが、生命の危険はない。強制捜査によって、7人のテロリストを殺害して、12人の組織メンバーを拘束して逮捕した。また別に行われた捜索で多数の武器、弾薬、組織の資料が押収された。皆様に慎んでお伝えする。」
■警官たちは、故郷に帰還
ディヤルバクルで、今日の朝方にISのテロ組織に対して17ヶ所へ同時に行われた強制捜査で犠牲となった特別機動警官の24歳のサードゥク・オズカンと22歳のギョクハン・チャクジュのため、警察署の前で追悼式典が開かれた。式典にはヒュセイン・アクソイ知事、第7軍団司令部空軍中将イブラヒム・ユルマズ、共和国主席検事のラマザン・ソルマズ、警察本部長のアダナン・タシュダン、軍の要人たち、そして犠牲者の仕事仲間が加わった。殉職者の遺体がその場に運ばれると同時に開始された式典では、警官サードゥク・オズカン、そしてギョクハン・チャクジュの経歴が式典の最中に読まれた。
経歴が読まれた後で、スピーチを行ったディヤルバクル県警本部長のアドゥナン・タシュダンは、ダーイシュのテロ組織に対する17の異なる住所に同時に強制捜査が行われたと話した。タシュダン本部長のスピーチの後で、式典では、殉職者のために祈祷が行われた。さらに後に、式典の場所から出てきた警官たちは、中の人びとを待たずに、同僚の棺桶を肩に背負った。特別機動部隊は、死者を悼む文句を唱えながら遺体を遺体搬送車まで運んだ。亡くなった警官サードゥク・ オズカンの遺体は故郷のアダナへと、ギョクハン・チャクジュの遺体は、故郷のチョルムへと搬送された。タシュダン本部長は作戦によって、2つのアジトで衝突が発生したと明らかにし、7人のテロリストを殺害したと述べた。
■55日間の特別機動隊員だった
攻防で殉職した警察官の二人ともが、最初の赴任地となったのが、ディヤルバクルだったことが明らかにされた。独身であると伝えられた殉職警官サードゥク・オズカンは、1990年12月13日にアダナのドゥハンベイリ郡で生まれ、2011年6月7日付でアクサライ警察学校を卒業したと伝えられた。オズカンさんは、卒業してから、一日後にディヤルバクル治安安全課にて職務を始め、三か月後に自身の希望によって、特別機動部隊に加わったということが明らかになった。2012年1月2日以来、特別機動隊で職務に当たっていたオズカンさんは今日まで多くの捜査に加わり、よい成績を上げたため、多くの特別報酬によって表彰を受けていたことが伝えられた。
衝突で殉職した他の警官ギョクハン・チャクジュは、2014年6月24日に最初の赴任地であるディヤルバクル機動部隊局で任務を始めたと伝えられた。チャクジュさんは、2015年に始めた特別部隊クラスを修了して2015年に9月2日付で特別機動隊で勤務を始めたと伝えられた。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:38990 )