MHPはすべてにノーといい、国民はバフチェリにノーといった
2015年11月01日付 Radikal 紙
11月1日選挙で最大の打撃を受けたのはMHP(民族主義者行動党)である。(前回の選挙から)190万近い票を失ったMHPは、アルダハン県で得票数を1%伸ばした以外は、80県で後退し、議席数は41議席に落ち込んだ。この図からは、MHPの選挙基盤で、党首の “NO”政治に反応がなかったこと、それどころか、反感を引き起こしたことが見て取れる。
11月1日選挙ではMHPが最大幅の後退をみせた。MHPは6月7日の選挙では16.3%の得票を得たが、11月1日選挙の確定前速報では12%まで票を落とした。80席から生き残った議席は41席。
さて今回のMHP票の激減には何が影響したのだろうか?
MHPは6月7日選挙では16.3%の得票を得た。この割合は直近の3度の選挙をいずれも上回っている。MHPは特に中央アナトリアや黒海地方の数県でAKPに深刻な打撃を与えた。このときの票はAKPの票田から来たものだったからだ。
■ミスター“NO”、選挙基盤で賛同者得られず
この選挙大勢を受け、MHPバフチェリ党首は自らのふるまいが誇らしいと述べ、選挙の夜からスタートさせた“NO”政治を11月1日選挙まで続けた。バフ チェリ党首はAKPとの連立だけでなく、どの対立野党とも協力せず、それどころか協調路線をとることにすら最後まで門戸を開かなかった。
バフチェリ党首のこうした態度は、他党からは、ミスター“NO”として批判された。そしてMHPからまずトゥールル・トゥルケス議員が離党した。トゥールル議員は選挙内閣へ入ることを承諾し、その後、離党届をもって規則に則りMHPを抜け、除名処分の後AKPに入党した。
バフチェリ党首は、党最重要幹部の一人であるメラル・アクシェネル議員をも、「議会議長に名が何度も挙がっている」として、副党首職を解任し、11月1日の選挙でも候補を公認しなかった。ことバフチェリ党首のこうした態度が党基盤からの批判を集めることとなった。
■6月7日選挙以降、最も勢いを失った党
バフチェリ党首が選挙直前に、「われわれの支持基盤にAKPと連立を望む者がこれほど多いとは驚きだ」と明かした。実はこのことが11月1日選挙の結果を暗示していた。
こうして6月7日選挙で非常に意義深い勝利をおさめたMHPは、11月1日選挙までのごく短期間に最も勢いを失った党となった。そして、バフチェリ党首の「NO」の態度のおかげで選挙時に賛同者を得られず、それどころか反発を引き起こしていたことが明らかとなった。
■有力議員も送り出せず
MHPは今回の選挙で41議席を獲得した。これは6月7日選挙から39議席失ったということだ。投票率は4.3%低下した。そうしてバフチェリ党首は自身の地元でもリーダーシップをAKPに譲ることとなった。MHP票が増加したのはアルダハン県のみ。しかもアルダハン県での票数増加とて、たった1%と限界があった。残る80県でMHPは票を失った。6月7日に得た670万票のうち、190万票を11月1日に失った。
それと同時にMHPが有力な議員を議会に送り出せなかったことも衝撃的だった。
トラブゾン県ではコライ・アイドゥン氏、エスキシェヒル県ではルフサル・デミレル氏、ウシャク県ではドゥルムシュ・ユルマズ氏、そしてヨズガト県ではサディル・ドゥルマズ氏が落選した。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:39036 )