フェネル・ギリシャ正教総主教の発言、ブルガリアで波紋
2015年11月11日付 Radikal 紙
フェネルのギリシャ正教総主教であるバルソロメオス氏が「第二次世界大戦時に盗まれ、総主教座の貴重なイコンは本当の持ち主に返されるべきだ」という表現がブルガリアで波紋を呼んだ。
フェネル・ギリシャ正教総主教であるバルソロメオス氏がソフィアを訪れた際に、ブルガリア側に「第二次大戦時にあなた方が強奪したイコンを返還してください」という発言で大きな危機を生んだ。ロセン・プレヴェネリエフ大統領が総主教に最上位の「スタラプラニナ」国家勲章を授けたセレモニーで問題が発生したことを受け、ブルガリアのボイコ・ボリソフ首相はフェネル・ギリシャ正教総主教のバルソロメオス氏との会談をキャンセルした。
ヒュリエット紙のネルドゥン・ハジュオール記者の記事によると、イコンに関する危機は総主教のブルガリア訪問初日に発生した。ブルガリアのプレヴェネリエフ大統領は、総主教を上級の外交儀礼で迎え、ブルガリア最高峰のスタラプラニア国家勲章を授けた。しかし、勲章授与式典で総主教は予想もされない演説を行い、「正教の教会の間で、再度密接なつながりができている。しかし、かつてのことにも目を向ける必要がある。第二次大戦の際に盗まれた、総主教座の貴重なイコンは、真の持ち主の元に返らなければならない。」
■「公式に泥棒と非難」
総主教のこの発言は、式典で冷たい反応を受けた。ブルガリア正教会の代表者たちは「フェネル・ギリシャ正教会総主教は我々を公式に泥棒と非難している。 しかし、彼が言及したイコンの真の持ち主は我々である。実際には、フェネル・ギリシャ正教会総主教は何百年も前に我々から盗んだのだ」と反発した。
フェネル・ギリシャ正教会総主教の発言は、一瞬で政治的危機をもたらした。火曜日にギリシャ正教会総主教と会談予定のボリソフ首相は、日程が詰まっているとの理由で、バルソロメウス総主教との会談をキャンセルしたと発表した。ブルガリアの聖職者たちも、大統領が総主教と撮った写真に入るのを拒否した。聖職者たちの反対のため、総主教が昨日の夕方に予定していた記者会見をキャンセルしたいう。
ブルガリアの正教会関係者達は、フェネル・ギリシャ正教会総主教発言について、今より「ギリシャ正教会総主教は我々の間で冷戦を始めたことになる」と発言し始めた。
■評論家達は「抑圧の継続」と話している
ブルガリアの研究者や政治評論家達は、フェネル・ギリシャ正教会総主教の2日前に終わったブルガリア訪問で起きたことが、ブルガリア正教会への抑圧の継続の表れだとコメントした。
アナドル通信の報道によると、イスタンブルのブルガリア正教会基金で運営委員も務める研究者のボジダル・チポフさんは、総主教座がイスタンブルのブルガリア教会へ時々自分たちの聖職者を送り、儀式がブルガリア語ではなく、ギリシャ語で行われるよう求めたと話した。
チポフ氏は、「最も聖なる祈りでさえも、聖職者の不足からイスタンブルの全ての教会で儀式を執り行えない総主教座は、ブルガリアの諸々の教会に来て、イスタンブルへ送るために聖職者を探している。総主教自ら来さえしている」と話した。
政治評論家のディアナ・ペトロバ氏は、フェネル・ギリシャ正教会総主教が、ブルガリア正教会の精神的指導者であるネオフィト総主教をずっと抑圧し、ブルガリア南部の教会でギリシャ語で儀式が行われることへ許可を与るよう要請した、と主張する。
■155年前に独立
155年前、1860年にイスタンブルのブルガリア正教会で行われたイースターで、総主教の名前に言及しないことで始まった独立運動は、スルタン・アブドゥルアズィズが1870年に「ブルガリア教区勅令」で成功に及んだ。
スルタン・アブドゥルアズィズの命で1872年にヴィディン(ブルガリア北西部の街)のアンティム府主教が最初のブルガリア教区代表として選ばれたことで、ブルガリア人が宗教行事上で正式にフェネル・ギリシャ総主教座から分離した。
アブドゥルアズィズの勅令にも関わらず、フェネル・ギリシャ総主教座は、ブルガリア正教会の独立に反対した。総主教座は、1945年にブルガリア教会の独立を承認せざるを得なくなった。ブルガリア教会関係者たちは、フェネル・ギリシャ総主教座が自らに向け155年にわたって続ける抑圧が今日も継続していると話している。
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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:39150 )