北イラク・モースル駐屯トルコ軍、戦車25台で任務交代
2015年12月04日付 Radikal 紙

ペシュメルガの訓練を目的に2年半にわたってモースルに駐屯していたトルコ国軍の任務交代により、トルコ軍の部隊が25台近い戦車を伴ってイラクのベシカへと移送された。トルコ国軍の任務交代に加えて、戦力強化のために現地へ赴き、ベシカに駐屯するトルコ人兵士の数は600人にのぼることがわかった。

ヒュッリイェト紙のウール・エルガン記者が報じたところによると、トルコ国軍(TSK)は2年以上にわたり駐屯したモースルから、30km北に進んだトルコ国境線に近いベシカにおいて、ペシュメルガやその他の対イスラム国勢力グループを訓練する部隊と戦車の任務交代を行う傍ら戦力強化も行ったという。

任務交代を含め、ベシカにはシイルト第3部隊旅団から派遣された部隊の数が400にのぼることが伝えられた。キャンプにはそれ以前から80から90の部隊が駐屯していた。25台の戦車から構成された装甲部隊も、今回同時に任務交代が行われた。これらの戦車はトラキアにある装甲部隊から移送された。これらの部隊に行われた戦力強化により、戦車の稼働に対する兵士数を考慮すると、任務交代後にベシカに駐屯するトルコ人兵士の数は600人に上った。

■バルザーニー議長との合意

この地域に駐屯する軍関係者らから得られた情報によると、ベシカでの任務交代は2日前に行われたという。戦力強化を伴う任務交代についての合意は、暫定政府の際のフェリドゥン・スィニルリオール外相が北イラクを訪問した時に、イラクのクルド自治政府のマスード・バルザーニー議長との会見で得られていたことがわかった。ベシカにおけるトルコ人兵士の規模は、バメルニ同様長期的に継続されるとも伝えられた。さらに、以前に行われた安全保障のサミットで、ベシカ・キャンプがイスラム国の支配地域から約10kmの近さにあることが注目され、任務交代に加えて戦力強化も行うという見解も発表された。政府はこの参謀司令部の提案を妥当と判断した。シリアとイラクでイスラム国に向けた空爆を行っている多国籍軍についても、任務交代に関する情報が公表された。トルコ人部隊の任務交代は、陸上で装甲車を伴う厳重な安全対策のもとに実施された。

■訓練を受けるペシュメルガの数は増加する見込み

ベシカにおける任務交代が戦力強化を伴って実施されたことは、モースルでのイスラム国に向けた陸上作戦の前準備という形で評価された。軍関係者らは、「戦力強化を伴う任務交代は、他の多国籍軍やイラク軍とともにモースルに向けた陸上作戦を行う前準備ですか?」という質問に対して、明確な答えは出さずに以下のように返答した。「世論が知るべき情報は共有しました。部隊数の増加により、訓練されたペシュメルガの数も自然と増加することでしょう。これ以上、お伝えすべき詳細はありません。」

■モースルはなぜ重要なのか?

イスラム国が2014年6月にモースルを支配下に置いたことにより、世界とトルコにとってモースルは非常に重要な地域となった。

イスラム国によるテロは、シリアに飛び火する前にイラクでアル・カイダの延長線として発生した。イラク北部のモースルは、この国とシリアの繋がりから戦略的に重要な役割を有していた。

モースルからイスラム国を一掃できれば、テロ組織の予想図だけでなく、シリアとイラクをつなぐ物流ネットワークにも打撃を加えることができる。

こうした理由により、トルコを含む国際的な連合軍は、モースルからイスラム国勢力を一掃する計画を立て始めた。この計画内で、イラク軍とペシュメルガがアメリカ支援により訓練を受けていた。この地域で2年以上にわたってペシュメルガを訓練するため、トルコ軍も駐屯していた。

■歴史的な土地

モースルから20km程北東にあり、歴史的にはアッシリア人が移住した土地とされるベシカの地名の由来は、アラム語で「Bet(家)」と「Aşika(愛)」という単語から派生しており、「愛する人々の家」という意味を持つ。オリーブの木で有名なこの土地には、ヤズィーディーやシャバクの人々だけでなく、スルヤーニーやムスリムのアラブ人らも暮らしている。

イスラム国はこの土地を2014年6月に支配下に置いた後、地名を「ドゥア」に変更した。ドゥア・ハリル・エスヴァド、これは2007年にベシカ内の町の広場で、ある主張によりイスラムに改宗したことを理由に集団から投石を受けて殺害されたヤズィーディーの少女の名前であった。この投石の様子を映した映像はインターネットで配信され、国際的な世論の反発を招いた。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:39318 )