パキスタン情報筋は昨日、テロ組織ラシュガレ・ジャハングヴィーの指導者マーリク・イスハークが警察との銃撃戦で殺害されたと伝えた。
マーリク・イスハークはアメリカの国際テロリストのリストに掲載されており、彼が立ち上げた組織はこれまでに、数百人の非戦闘員を殺害している。殺害された人たちの多くは、パキスタンの少数派であるシーア派の人々であった。
イスハークは先週、自身の息子2人と補佐官とともに、治安部隊によって逮捕されていた。
彼はこの間の供述の中で、同組織が武器を保管している住居がパンジャーブ州内の街マズファルガルの近郊にあることを述べていた。昨日、警察の部隊はイスハークと彼の2人の息子をこの住居に移送していた途中、約15人の民兵が部隊を襲撃、イスハークらを解放しようと企てた。
銃撃の過程で、イスハークと2人の息子、およびラシュガレ・ジャハングヴィーのその他のメンバー11名が殺害され、7名の警察隊員も負傷した。伝えられているところによると、その住居からは約40Kgの爆発物、および各種の自爆用のチョッキやベルトが見つかった。
イスハークは過去数年間で何度も逮捕されているが、当局や、さらには裁判官らが報復を恐れるあまり、彼は早々に釈放されるか、〔当局黙認の下で〕逃亡するかしてきた。
1990年代に組織されたラシュガレ・ジャハングヴィーは、パキスタンでも最も過激なテロ組織の一つであると見なされており、数々のテロ攻撃を実行し、同国に住むシーア派住民数百人を殺害してきた罪に問われている。また同グループは、アル・カーイダやターリバーンと関係を持っているとも言われている。
イスハークは、自らが行ってきたことを一切のためらいもなく公言してきた。1997年に行われたインタビューでは、1回の殺戮だけで100人のシーア派信徒を殺害したことをあけすけに表明さえしている。
かつて「サハーバ(教友)軍団」の名で知られていたこのテロ組織には、当時のパキスタン大統領パルヴィーズ・ムシャッラフによって、10年以上前から活動禁止命令が下っていた。しかしこの組織は「ラシュガレ・ジャハングヴィー」の名で再び自らの存在を表明、自らがかつて掲げていたのと同じ目標や活動〔方針〕を採択していた。
マーリク・イスハークは1997年、数十件のテロ攻撃に手を染めた罪で逮捕され、投獄された。そして14年間服役した後、2011年に保釈されていた。
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( 翻訳者:HSH )
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