ジュムフリイェト紙ジャン・デュンダルら92日ぶりに喜びの釈放
2016年02月27日付 Cumhuriyet 紙


ジャン・デュンダル氏とエルデム・ギュル氏は家族と共に夜を過ごした後、12時半頃にジュムフリイェト紙のシシュリ本社を訪れた。

92日間の拘束の後、ジュムフリイェト紙のシシュリ本社へ戻ったジャン・デュンダル氏とエルデム・ギュル氏は同僚に暖かく盛大に迎えられた。デュンダル氏とギュル氏には同僚から花が手渡された。笑顔を見せるジャン・デュンダル氏はエルデム・ギュル氏と着ている服が同じであることについて「これは囚人服だ。私たちのユニフォームだ。エルデム、君なしの人生なんて何の楽しみもない」と冗談を言った。これに対してギュル氏は「私も朝指折り数えてこの日を迎えた」と答えた。刑務所に入る前にジャン・デュンダル氏はニュース・コーディネーターの1人、ムラト・サヴンジュ氏が「編集長と政府代表は1日2回会わないといけない」と言っていたと語り、「計算では24時間一緒に寝ることはなかった。エルデムと独身生活を送れたのは良かった。政府代表と編集長の関係はこうでなければならない。人は必要に応じて同じベッドを、同じ部屋を分けあわなくてはならない。大統領に感謝している。自分たちが隠そうとした秘密を全世界に知らしめたのだ。私たちが望んでもこうはできなかった」と述べた。

デュンダル氏はトルコで最も注目を集めるスパイとなったと述べ、「私たちの事件が今後収監されるはずだった人たちを守れたならこれほど嬉しいことはない。

■「ジュムフリイェト紙が空気を明るくしてくれた」

ジュムフリイェト紙は私たちの面倒をよく見てくれた。刑務所にジュムフリイェト紙が届くと、部屋が明るくなった。皆さんの声を聞き、一つずつに触れてこの試練に耐えた。私たちの新聞がなかったらこれほど健全に、早くには出られなかっただろう。メテ・アクヨル氏は記者の世界の重鎮であり、トルコで時に地位がいかに価値あるものになりえるかを示した。時に地位は宮殿をも転覆させられる。私たちはもうどこからでしたっけと言って再開している」と語った。

ジャン・デュンダル氏は92日ぶりに窓や青空を見て幸せを感じたと述べ、次のように語った。

■「そこには泥棒がいない!」

「私たちは初めて自分たちの地平線を見ている。これまではずっと壁を見ていた。窓や青空、友人の顔、笑顔の人々を見るのはすごく素敵なことだ。一方、中の条件も非常に良かった。皆さんにお薦めする。二階建ての家に住むのです。問題の隣人は高等教育を受けた人です。裁判官、弁護士、兵士など非常に信頼できる。そのニュースを報じた人たちはその贅沢を味わえるのだ。空きベッドが二つできた。人々は隔離が何か説明するために必死になった。刑務所では虐殺が行われた。そのため隔離が何かを説明するためにその友人も贅沢な住まいに住まわせればいいのだ。今後その他の逮捕者たちのために闘うつもりだ」

エルデム・ギュル氏は報道の自由や思想・表現の自由といった概念が普通に存在する必要があると述べ、「これらが私たちに裁判所の判決でもって提供される必要はない。これらの代償は以前にも支払われた。その上反体制派の記者の問題がある。このような概念があってはならない。記者はもともと監視の活動だ。記者は政権や強いものを監視する。政府側の記者だの反体制派の記者だのはあってはならない。一つの報道が非難の理由になるのならば、さらにしなければならないことがあるということだ」と語った。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:39934 )