イスティクラル爆弾犯の父「妻は2度も警察に相談した」
2016年03月22日付 Hurriyet 紙

イスティクラル通りを血に染めた自爆犯メフメト・オズチュルクの父親、ナフセン・オズチュルク氏がガーズィアンテプにある家で本紙の質問に答えた。「息子は虫にも害など与えたことはなかった。洗脳されたのだ。」そして端的に以下のように述べた。

■結論は得られなかった

「建築現場の鋳型工として働いている。2013年にいくつか家庭内問題が起こった。メフメトが兵役から帰ってきたばかりだった。家の問題から遠ざかるためにイスタンブルへ出稼ぎに行くと言った。携帯電話は使っていなかった。息子に連絡がつかないと妻は警察を訪ね、消息不明の申請をおこなったが、結論は得られなかった。 2014年にガーズィアンテプに戻ってきた。しばらく滞在した。イスタンブルの繊維工場で縫製担当として働いていると言った。再びイスタンブルに戻ると言い、家を後にした。息子に連絡がつかないと妻はまた警察に相談した。また結論は得られなかった。息子は3か月前に一度ガーズィアンテプに戻ってきた。一週間泊まった。 行動におかしなところは見当たらなかった。『息子よ、お前を結婚させる』と言った。息子は『結婚したくない』と言った。また家庭内で問題が起こっていた。 『父さん、僕はイスタンブルに行く。仕事をして自分の人生を歩む』と言った。そして家を後にした。その後全く息子と会うことはなかった。電話番号でさえ知らなかった。事件当日私は建設現場にいた。13時半に警察がやってきた。『これはあなたの息子さんですか』と尋ねた。『はい』と答えた。彼らは 『息子さんは怪我をしています』と言った。血液検査をした。その後息子が自爆攻撃をしたことを知った。襲撃の前にアドゥヤマンに向かったそうだ。そこには親戚も知り合いもいない。息子の最後の様子を私もテレビで見た。

■20年収監されていたら

息子はシリアへ行く前に家で礼拝をし、コーランを読んでいた。髭は生やしていなかった。疑うような行動は全くなかった。息子が20-30年刑務所で過ごしてくれていたら、本当にこの襲撃を起こさなければ。私は国を愛する人間だ。この種の血に濡れた襲撃に反対する。2年前家にトルコ国旗を掲げた。このような襲撃をどうして認めることができようか?」

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( 翻訳者:満生紗希子 )
( 記事ID:40131 )