レバノン:内戦の記憶を引き継ぐ「ベイルートの家」はいま
2016年04月29日付 al-Hayat 紙

■「ベイルートの家」は開放されたが……開かれてはいない

【ベイルート:ラナー・ナッジャール】

レバノン人の大多数は、「ベイルートの家」に起きたことを理解できなかっただろう。これは、「イエローハウス」、あるいは、(かつて名づけられたように)「マブナー・バラカート」と呼ばれる建物で、ベイルート市長のビラール・ハマド氏が一昨日〔4月27日〕、来る9月からのオープンに先立ち、一日だけ開館したのだ。9月からの開館は、この建物を内戦の暗さを証言する生きた博物館とするため、開かれたインタラクティブな空間として、常設の芸術展示館における新旧のベイルートの歴史を再現する場とするため、この家に魂を戻す13年にわたる活動の結果である。

この建物の前を通り過ぎる人は誰でも、宗派同士の暗い争いの記憶を呼び起こされ、実際にこの建物が、精神的あるいは身体的に病んだ人間に似ていることに気づかされるだろう。あたかも、手足が切除されたり、壊れたりしているかのようである。それは、この建物の窓や門を「醜く支え」あるいは「飾り立てる」灰色の金属製の枠組みからも伺い知れる。

レバノンによく似たこの病んだ建物は、大衆に向けて開かれることはない。なぜなら、まったく準備ができていないからであり、そこには何の文化的プログラムも用意されていない。いや、修復作業すら完了していないのである。ベイルート市からの譲渡以来この建物に付随する技術諮問委員会が付した注意も山ほど残っており、これから長い討議を必要とするだろう。

それでは、なぜ今回の一日開放が行われたのだろうか?それは、ベイルート市長のビラール・ハマド氏が自身の任期の終わりに、この博物館は彼の任期中の業績であると確認するためであろうか?周知の通り、博物館を、文化・芸術・文明の集積地を、そして歴史を通じたベイルート市を論じる調査・研究を保持する場を設立することを命じた第10362号命令は、2003年の6月、前ベイルート市長アブドゥルムンイム・アリース氏の任期中に公布されたものである。

(後略)

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( 翻訳者:竹村和朗 )
( 記事ID:40366 )