タクスィム自爆テロの背後関係、明らかに
2016年05月06日付 Hurriyet 紙

メフメト・オズトゥルクがタクスィムで自爆テロを起こし、4人が殺害された事件について、テロの背後関係が、ある紙に書かれたメールアドレスとパスワードを用いて明らかにされた。そしてこれにより、ガーズィアンテプから自爆攻撃の指令を下したIS関係者が逮捕された。本紙は、オズトゥルクがイスタンブルのホテルで過ごした24時間からガーズィアンテプにおける捜査に至るまで、その全貌を掴んだ。

2016年3月19日午前10時58分、イスティクラル大通りのバロ通り入り口付近において、大きな爆発が発生した。イスラエル国籍者3名と、イラン国籍者1名が亡くなり、46名が負傷したこの攻撃は、1人の自爆テロ犯によるものであると発表された。初動捜査では、この犯人が、指名手配されていたイスラム国(IS)メンバー、サバシュ・ユルドゥズの可能性があるとされたが、事故現場にはメフメト・オズトゥルクの身分証明書が残されていた。警察は両容疑者の家族を見つけ出し、その後のDNA検査により、犯人がISメンバーのメフメト・オズトゥルクであると断定された。

事故現場では、手書きでomehmet458@gmail.comというメールアドレスと、b977から始まる12ケタのパスワードが書かれた1枚の紙が見つかった。このメモに書かれたメールアドレスをもとに捜査を開始したイスタンブルとガーズィアンテプの両警察は、今回の自爆攻撃の背景と、そしてISのガーズィアンテプにおける最も重要な人物の1人に行き当たった。メールアドレスは、IMEI(識別番号)449302912738...番の携帯電話と関連していたことが分かった。また、電話には554…….27番のGSM回線があり、犯人のオズトゥルクによって使用されていた。しかし以前は、 538…….10番の、ほかのGSM回線で使用されていた。この番号は、ISの、“MA’RAJ”というコードネームを持つ、ガーズィアンテプ支部代表、エルジャン・チャプクンが所有していた。非常に重要な人物に到達したのである。

■イスタンブルで逮捕

同じ電話で、553……66番の、第3のGSM回線が使用されていたことが分かった。この人物はイスタンブルで暮らしていたK.Kであり、イスタンブルテロ対策チームによって逮捕された。電話は修理され、中古で販売されていた。写真から、ヒュセイン・カヤが特定された。彼には、IMEI 449302912738…番の電話が販売されていた。警察は48時間以内にISの主要メンバーであるエルジャン・チャプクンとヒュセイン・カヤ両名の、 自爆テロにおける痕跡へとたどり着いた。イスタンブル警察は、その情報をガーズィアンテプの警察と共有した。

■アンカラとスルチュに関連

4月4日、2つの異なる場所で捜査が行われた。この捜査の1つはヒュセイン・カヤが、もう1つはエルジャン・チャプクンが、それぞれ偽造した身分証明書で借りた家であった。ヒュセイン・カヤの家で行われた捜査により、全国で指名手配されていたメフメト・ムスタファ・チェヴィキと、同じくISメンバーのイブラヒム・ギュルレルが逮捕された。ISメンバーであり、ドクマジュラルのメンバーであるメフメト・ムスタファ・チェヴィキは、スルチュで自爆攻撃を行ったシェイフ・アブドゥッラフマン・アラギョズと、アンカラ駅での自爆テロ攻撃を行ったユヌス・エムレ・アラギョズと連絡を取っていたことを白状した。

さらに、チェヴィキとギュルレルの部屋で見つかった携帯電話も、タクスィムで発見された紙に書かれたomehmet458@gmail.comというメールアドレスとつながりがあった。この電話は、ヒュセイン・カヤ、自爆テロ犯のメフメト・オズトゥルク、ISのガーズィアンテプ支部で代表を務めていたエルジャン・チャプクンがGSM回線とつなぎいで使用していたことが確認された。ISメンバーがそれぞれ連絡を取り合っていたことが証明された。メフメト・オズトゥルクは攻撃の前、イスタンブルに滞在中の3月15日、午後7時2分から7時10分の間で、ヒュセイン・カヤと7回にわたりメッセージのやりとりをしていた。

■指令を下した2名の名前

エルジャン・チャプクンの家では、メフメト・ムスタファ・チェヴィキとイブラヒム・ギュルレルの指紋が発見された。紙に書かれたメールアドレスから、自爆テロを起こしたメフメト・オズトゥルクに攻撃の指令を下したとされ、トルコにおけるISメンバーの最も重要な人物であるエルジャン・チャプクンとヒュセイン・カヤと共に、おぞましい事件を実行するためにトルコに入国したメフメト・ムスタファ・チェヴィキとイブラヒム・ギュルレルの二名は、このようにして逮捕されたのである。

■泊まっていたホテルで警察チェック

メフメト・オズトゥルクは、攻撃を行う4日前にバスでイスタンブルにやってきた。エセンレルのバスターミナルからタクシーに乗り、ベシクタシュのバルバロス大通り付近にあるホテルに夜8時ごろチェックインした。ホテル関係者によれば、彼は疲れて、その表情は不機嫌だったという。ホテルでは、最も小さな1号室に宿泊した。100リラの宿泊費は現金で支払ったという。部屋に入る前に、レセプションに充電器を借りたいと申し出た。ホテルに滞在した3月15日から16日の深夜にかけては、興味深い出来事があった。ホテルから警察に送られた宿泊者記録に、逮捕状が出されていた1人の人物がいたのである。警察はホテルにやってきて、この人物を逮捕した。メフメト・オズトゥルクには逮捕状は出されておらず、彼は翌日12時頃にチェックアウト。アドゥヤマンを通りガーズィアンテプへと向かった。そしてそれから4日後の3月19日、再びイスタンブルを訪れたオズトゥルクは、タクスィムで自爆攻撃を行ったのである。

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( 翻訳者:木全朋恵 )
( 記事ID:40404 )