【イラン紙1面】モハンマド・サラフラーズ氏がイラン国営放送を去るのではないかとの噂や憶測が飛び交うようになって数ヵ月、アブドルアリー・アリーアスギャリーが国営放送の総裁に任命されたことで、この問題をめぐる風聞にもついに終止符が打たれることとなった。
イスラーム革命最高指導者のアーヤトッラー・ハーメネイーは辞令の中で、モハンマド・サラフラーズ氏の辞任を受け入れ、革命的で価値ある同氏の努力に謝意を表明したうえで、アブドルアリー・アリーアスギャリー氏をイラン国営放送機構の総裁に任命した。
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モハンマド・サラフラーズの業績をみてみると‥‥
イラン紙の報道によると、イラン国営放送前総裁のモハンマド・サラフラーズ氏は、イラン暦1393年アーバーン月中旬(西暦2014年11月上旬)に総裁職に就き、問題噴出の18ヵ月間、同機構の運営を担った。
イラン暦1363年(西暦1984年)以降、現在にいたるまで、イラン国営放送の総裁を務めた人物、すなわちモハンマド・ハーシェミー、アリー・ラーリージャーニー、エッザトッラー・ザルガーミーの3名はいずれも、同機構の総裁職を10年間にわたって担った。サラフラーズ氏も、少なくとも1期5年間だけは「ジャーメ・ジャム」〔※イラン国営放送の愛称〕に留まるのではないかと思われていた。しかし、彼が総裁職に就いて最初の数日で問題が表面化し、新総裁にとって仕事は困難を極めるようになる。
ザルガーミー氏の後継者となったサラフラーズ氏が就任当初からしばしば口にしていたスローガンとしては、特に「若手中心主義」、「組織運営のスピード化」、そして「外部委託」などがあったが、まさにこれが国営放送内に大規模な変化をもたらすこととなり、最終的に〔サラフラーズ氏への〕批判の増大を招くこととなった。
サラフラーズ氏がイラン国営放送の総裁を務めた短い期間に起きた騒動としては、・イラン・イスラーム国営放送特別査察官に就任したシャフルザード・ミールゴリーハーンをめぐる問題〔※革命防衛隊の諜報機関から、妻にスパイ疑惑がかけられた問題などを指す〕、・〔国営放送が抱える〕様々なチャンネルの統廃合の問題、・同機構の副総裁らの人事をめぐる問題、・核合意に対する姿勢、・予算関連の問題、・テレビ番組にさまざまなスポンサーが入り込むようになり、広告が必要以上に多くなったこと、などが挙げられる。こうしたことに批判的な者たちもただ指をくわえてみていたわけではなく、これらの問題に対して何度も抗議の声を上げたが、しかし彼らの批判が功を奏することはなかった。
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サラフラーズ氏が総裁就任当初より真剣に取り組んできたと思われることに、局責任者らの交替があったが、局の外部でこれを肯定的に評価する向きはまったくなかった。〔‥‥〕ザルガーミー時代に「開発・メディア技術」担当副総裁を務め、今回、革命最高指導者の人事によって国営放送の新総裁に任命されたアブドルアリー・アリーアスギャリー氏も、サラフラーズ氏の総裁就任後すぐに、職を解かれた責任者の一人だった。
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( 翻訳者:SSK )
( 記事ID:40471 )