イスタンブル・アタテュルク空港で昨晩21時51分におきた爆発の詳細が判明する一方、イスタンブル警察は、3人の自爆犯がファーティフ区ヴァタン大通りシャーイル・フズーリー通りの角で、21時頃にマフムト・バウシュさんの34TEE98のタクシーに乗ったところを映した防犯カメラの映像を特定した。この映像によると、3人はそれぞれショルダーバックを背負い、一つのスーツケースをもっていた。
タクシーは、空港入口の検問所での警察のチェックは難なく通り抜けた。テロリストらは、国際線到着ロビーの前でタクシーを降りた。スーツケースをあけ、なかから取り出したコートとジャケットをきて、カラシニコフ銃を隠し持ったのち、1人は駐車場へ、1人は到着ロビーへ、1人は出発ロビーへと向かった。
この時、駐車場にはいってきた警備員が、3人が暑さのなかジャケットやコートを着ていることを怪しみ、警官に連絡した。一人の私服警官が、到着ロビーのA門に向かうテロリストに近づき、身分証明書の提示を求めた。テロリストは発砲し、警官は肩に負傷した。駐車場の方からの発砲の音を聞き、到着した人々が車に乗る到着ロビー階の入口付近にいた一人のテロリストがそこで自爆した。ここで大きなパニックがおき、ここで3人のタクシー運転手や仕事を終えた空港職員を含む多くの人がここで亡くなった。(第一爆発)
■警官が10発発砲
混乱に乗じ、駐車場の側から2階の上がった二番目の自爆犯は、A門から出発ロビーの中にカラシニコフ銃を撃ちながら入った。銃を携帯していない警備員のいるX線検査の脇をとおってターミナルに入った自爆犯は、CIPセクションまで進んだ。パスポートコントロールへ進むところで人の交通整理をしていた警官Y.D.は、壁の陰にかくれた。テロリストが前を通り過ぎようとしたときに発砲しようとしたが、気づかれて警官は腹を撃たれた。警官は負傷しながらも、10発撃った。テロリストは地面に倒れ、銃を落とした。このとき、周囲にいつ人に、「爆弾だ」と叫んで警告した警官は、自爆犯が爆弾を爆発させようとしているのをみて、逃げざるをえなくなった。自爆犯は、ボタンをおし、爆弾を爆発させた。警官の忠告のおかげで、周囲のものは脱出に成功し、コンクリートの地面に大きな穴は開いたが、この爆発での死者はいなかった。
■税関職員を撃つ
職員が使う1階のA門から到着ロビーに入った、最初に発砲し私服警官を負傷させた第三の自爆犯は、逃げる人で集まる税関地点付近で人を殺すことだった。テロリストは、パニックになり逃げようとする人に向け発砲したが、スィミットサライの店の前で、税関職員のウムト・サカルオールさんによって撃たれた。地面に倒れた犯人は自爆し、サカルオールさんもなくなった。
■死者は2回の爆発で
死者はすべて一階部分での2回の爆発によるもので、(到着客の)待合サロンとその外の送迎バスやタクシーの並んでいる場所で発生した。トルコを震撼させ42人(その後、44人)が亡くなった。この数は、自爆犯を含めると45人となる。
事件後に、2つの爆発していない爆弾がまいつかった。どこ製かわかっていない爆弾のひとつは自爆犯のバックに、ひとつはターミナル内でみつかった。警察は、昨日、テロリストが滞在していたファーティフ区のアパートを捜索した。アパートでは、デジタル部品と組織の書類が見つかった。
■国家諜報局は警告していた
自爆犯の一人、チェチェン人のオスマン・ヴァディノフは、テロに先立ち、ISのシリア内の拠点ラッカからきて、トルコに入国したことがわかった。2015年にもトルコに入国しているとみられるヴァディノフの、トルコ内の連絡者を特定する作業がはじめられた。国家諜報局は、20日前に、全県の警察に対し重要地点へのISの爆弾攻撃があるかもしれないとする警告を配布していたという情報もある。この事件には、第4の人物がいて逃げたのかもしれないという情報もあり、国境での検査が強化された。
■テロリストを載せたタクシー:外国語をじべっていた
テロリストらを空港まで運んだタクシーの運転手マフムト・バウシュさんは、事件の日、警察で事情聴取をされた。バウシュさんは、3人は空港に着くまでの間、外国語を話していて、何もわからなかったといっている。
■勇気ある税関職員
ギルネ・アメリカン大学卒のウムト・サカルオールさんは、アタテュルク空港の税関職員だった。テロリストの一人を一階で銃撃した。その後、犯人の自爆により、自身も犠牲となった。ハタイの家族は、この悲報に打ちのめされている。別の税関職員は、次のようになタル。
「犯人は、入口のチェックポイントをとおり、手にした銃で撃ちながらこちらに向かってきた。このとき、ウムトはテロリストと顔を合わせた。彼は銃をもっていた。なので、テロリストに向かって撃ったのだと思う。その後、爆弾犯は自爆した。爆発は、到着する乗客を出迎える人が大勢いる場所に近かった。残念ながらウムトは、この時亡くなった。もしウムトは撃っていなかったら、もっと多くの死者がでていただろう。
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
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