宗教活動家のサイイド・ヌルスィー師の弟子であるアブドゥッラー・イェン師が亡くなった。
ここ暫く治療を受けていたイエン師は快方に向かっていたが、バイラムに再び入院した。葬儀の詳細はいまだ明らかではない。
サイイド・ヌルスィー師の後継者らのうち、94歳のアブドゥッラー・イェン師は、投票のために病床から起き上がりイスタンブルを訪れ、反政府運動に携わる人々に対抗して[2013年]12月17日から25日の間、政府を明確に支持していた。
■アブドゥッラー・イェンとは?
アブドゥッラー・イェン師は、1924年、カスタモヌのアラチ郡クヤン村で生まれた。教師の息子であり、スレイマンとアイシェ夫婦の間に生まれた息子だった。彼の家族は何世紀か前にバグダードからカスタモヌへと移り、アラチ郡クヤン村に定住した。
宗教活動家のサイイド・ヌルスィー師とその著作であるリサーレイ・ヌルを知った後、人生を信仰に捧げた著名人のうちの一人である。敬虔な家族の子として生まれた。まだ小学生であった頃、リサーレイ・ヌルを知り、友人と一緒に彼が質問したことが、リサーレイ・ヌルのひとつの問題として記された。
イェン師と一緒にヌルスィー師を訪ねた若者たちは、「先生たちは神について触れない。私たちに創造者について教えて」という要望を受け、若者たちに十分な説明をすると同時に、質問とその答えもまたリサーレイ・ヌルに掲載された。
宗教指導者を訪ねたイェン師は、まず先生に怒られた。そのことに関して調査がおこなわれ、規律委員会に諮られた。審問に呼び出され、訪問の理由が聞かれた。彼も、宗教について学ぶために行ったと答えた。委員会により、1週間の停学処分が言い渡された。
イェン師は、ヌルスィー師によってウルファでの奉仕活動に任命された。この後、兵役期間を除けばその地から全く離れることがなかった。しかし、ヌルスィー師の死後、ウルファに留まることは許されなかった。1960年3月23日以降、トルコ国内の様々な町で信仰活動を続けた。
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( 翻訳者:神谷亮平 )
( 記事ID:40820 )