■「主婦」……レバノンで息絶えつつある概念
【ベイルート:ヴェロニク・アブー・ガッザーラ】
料理に優れ、家の掃除や家事をこなす方法をよく知り、子どもたちを気にかけ、夫のために幸せな雰囲気を作り出すこと――。〔こうした〕基本的な基準はしばしば、他の諸社会と同じくレバノンにおいても、人生のパートナーを選ぶ大原則とみなされてきた。
結婚生活の世界に入っていく女性は、これらの事柄について準備ができていなければならない。その準備は、女性が親許で受ける育て方や「お稽古事」を通じてなされるものである。これらの基準に対応していない場合には、特に義母からの抵抗が激しくなることには疑いがない。義理の母は、息子の妻たる女性が家族の一員となり、家事に携わることができるかどうかについて最大の役割を持っているからである。
「主婦」の概念はかつてこのようなものであり、適切な花嫁を選ぶことはこれとかけ離れたものではなかった。たとえ、女性が特定の職業に就き、働いていたとしても、上述の基準に従わなければならず、そうでなければ、〔妻になるための〕規定に満たないとみなされた。そうした場合、責められるのはたいてい、女性の母親であった。なぜなら母親は、娘を金の籠に入るための正しい道に導き、求められる事柄を準備させるものだからである。しかし、レバノン社会はさまざまな局面、特に社会的、経済的な側面について急激な変化を被っている。この変化は今日ほぼ完全に「主婦」を終わらせ、多くの場合、望ましい花嫁の伝統的基準に合わない女性を妻に迎えるようになっている。
(後略)
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( 翻訳者:柳井丈司 )
( 記事ID:40863 )