クーデターの試みに関する捜査において逮捕されたアクン・オズチュルク前空軍司令官が拘留請求で裁判所へ送られた。アクン・オズチュルク前空軍司令官は検察での供述で嫌疑を否定した。クーデターには参加せず、妨害したとするオズチュルク前空軍司令官は、「経験上、この軍事クーデターの試みはパラレル構造(ギュレン組織のこと)が実行したと考えている。しかし、このクーデターはトルコ軍(TSK)内部にいる誰かが組織して実行したとは思えない。軍事クーデターの試みは、弱いトルコを望む外国勢力の仕業もありうる。ペンシルバニア在住の人物は、指示を出しこの企てをおこなわせるほどの力はない。この事件では、パラレル構造が利用された可能性がある。クビライ・セルチュク空軍少将とメフメト・デイシィリ空軍准将と、この軍事クーデターをなぜおこなおうとしたのかについて詳細な話をしていない。何の目的でこれが行われたのか知らない」と述べた。一方、アナトリア通信社は最初の報道でアクン・オズチュルク元空軍大将が「クーデター」を実行しようと行動したと話したと報道した。同通信社はその後、この報道を修正した。捜査で、アクン・オズチュルクら25人の将官が逮捕された。
クーデターの試みの後に逮捕され、アンカラ・テロとの闘い支部局チームにより18日、裁判所へ連行された容疑者への検察局の尋問は終了した。
憲法秩序に対する犯罪調査局所属の共和国検事に尋問された容疑者達は、全員トルコ刑法(TCK)第309条の「憲法違反」、第310条の「大統領に対する暗殺計画及び実質的攻撃」。第311条「立法機関に対する犯罪」、第312条「政府に対する犯罪」第314条「武装組織を結成あるいは指揮する」、第82条の「殺人」の罪による逮捕請求により、担当の簡易刑事裁判所へ送られた。
■アクン・オズチュルクの供述全文
アクン・オズチュルク前空軍司令官は、検察での供述で容疑を否定した。以下は、アクン・オズチュルク前空軍司令官の供述の全文である。
■「私は首謀者ではない」
私は、2016年7月15日に行われた軍事クーデターを計画し指揮していない。この軍事クーデターを誰か計画し指揮したか知らない。イスタンブルで事件が起きた日、友人の娘の結婚式があった。それに参加する必要があった。イスタンブルへ行けなかった。イズミルの公証人で用事があって行けなかった。
私は、イズミルでのこの用事を証明することができる。イズミルで11時30分頃、公証人での用事は終わった。その後、13時30分ごろ、アンカラへ軍用機で陸軍司令官と一緒に行った。直接部下を見るためにアクンジュ基地へ行った。
私はアクンジュ基地内の宿舎で夕方まで過ごした。アクンジュ基地で通常の航空機の離着陸が行われていた。通常の活動のため、最初何も気づかなかった。結婚式の主催者メフメト・シャンベル氏に電話し、お祝いの言葉を言った。
しばらくして、シャンベル氏が再び私に電話をかけてきた。航空機が低空飛行をしており、何があったか尋ねた。テレビで字幕(ニュース)が流れたといった。私もその間、テレビで(状況の)進展を追った。空軍司令官もこの結婚式にいた。
■「参謀総長も一緒に行った」
彼は私に連絡をよこし、航空機がアンカラで低空飛行をしており、この状況を止めろと言った。私もこれを受け基地司令部へ電話をかけた。電話に出た相手は基地司令官で来賓としてそこにいたクビライ・セルチュクだった。参謀総長も基地にいると言った。
私も即座に彼らの所へ行った。約5分以内に参謀総長に会いにいった。そこへ行った際、空が暗くなっていたが、何時であったかわからない。
基地に着いた。ある部屋の中でフルスィ・アカル参謀総長は、クビライ・セルチュク准将、メフメト・ディシュリ准将とともにお茶を飲んでいた。私に「彼らがこれを行った。彼らと話し、説得しろ」といった。私は二人と話しを始めた。一方、イスタンブルで戦車の上に人々がのぼった。基地の室内ではテレビがついていた。テレビをみることができた。クビライ・セルチュク准将、メフメト・ディシュリ准将に対し、クーデターは成功せず、民主的機関が機能しており、国民はこのクーデターに反対を示していると説明し、説得を試みた。
抗弁するにつれを声が大きくなった。同様に参謀総長も彼らを説得しようと試みた。3-4度、これらのことを繰り返した。私には、彼らに対し命令を下す権限はなかった。しかし、高官として、アビディン・ユナル空軍司令官の要請で彼らに提案することで説得しようと試みた。
■「提案は受け入れられ、説得を受け入れた」
その間、苗字の知らないオメルという名の提督がそこにやってきた。提案は受け入れられ、彼らは説得を受け入れた。新たな航空機が飛行しなかった。上空にいる者の任務は継続した。基地に戻った航空機は再び離陸させなかった。
私はこの説得にどれほど時間がかかったのかわからない。最終的に彼らが説得を受け入れると、参謀総長は首相と話した。私に、「おまえはここに残れ、彼らを完全に説得しろ」と言った。そして、ヘリコプターに乗って首相府へ向かった。朝、早い時間だった。しかし、何時だったかわからない。
■「私に向けて上空の航空機が銃撃した」
私は基地に一時間ほど滞在した。万事収まったと思った後、ヘリコプターで首相府へ向かうはずだった。ヘリコプターに搭乗したが、この間、上空には別の航空機とヘリコプターが飛んでいた。私に向かって、上空の航空機から銃撃があった。基地に戻った。
しばらくしてから、基地からヘリコプターで離れようと試みた。足を負傷した。私を負傷させた銃弾が航空機から銃撃されたものなのか、もしくは、駐留している部隊から撃たれたものなのかわからない。
■「目隠しをされ、、目を開けると、手足を縛られたがほどいた」
基地へ戻った。この間、メフメト・ディシュリ准将と常に連絡を取っていた。彼は参謀総長とともにヘリコプターに乗って大統領府へ行った。彼とは、携帯電話を通じて常に連絡をとっていた。
その後、参謀副総長が基地にいることを知った。私は彼のいる部屋へ行き、彼は目隠しをされていた。私は目隠しをはずした。腕と足を縛られていたが、ほどいた。
彼と一緒にヘリコプターに乗って、基地を離れなかった。なぜなら上空には航空機が飛んでいた。私たちは長い間、基地に滞在した。
■「およそ10人の将官が基地で拘束されていた」
基地の他の場所にアビディン・ウナル空軍司令官とほかの将官がいることをこの間、知った。まずアビディン・ウナル空軍司令官を訪ねた。約10人の将官が基地で拘束されていた。
ウナル空軍司令官の警護のためにまず2人の警護兵を置いた。その後、ヤシャル・ギュレルのところへ行き、状況を説明した。ヤシャル・ギュレルは、特別部隊司令官と話した。彼が基地へ来たと話した。約2-3時間待った。特別司令官の到着は遅れた。彼は周辺の多くの場所をみて戻ったために遅れた。また、事件現場へヤシャル・ギュレルは軍検察を呼んだ。軍検察は事件現場の確認を開始した。
私は、基地でファフリ・カスルガ、陸軍司令官、参謀長、副官、特別事務局長もそこにいたことを知った。この間、ムラト特別部隊司令官が基地へ入り、ファフリ・カスルガと陸軍司令官を救出した。陸軍司令官を彼が救出したかしなかったかはっきりとは分からない。
ヤシャル・ギュレルと連れ立って、まずアビディン・ウナル空軍司令官がいる場所へ向かった。その後、宿舎で拘束されていた空軍司令官を解放した。その後、ヤシャル・ギュレルとともに、後ろの別の車にアビディン・ウナルが乗った状況で空軍司令本部へ戻った。
■「警察部隊に引き渡された」
私たちは、アビダン・ウナルとともに司令部に滞在した。ヤシャル・ギュレルは自宅へ行った。私について様々な憶測がでており、それらを否定するためにプレスリリースを作成し、それを公表した。
その後、私も自宅へいった。待機を始めた。私を引き取りにくると考えていました。深夜1時30分ごろ、中央司令部が私を拘留した。その後、警察に引き渡された。
■「フルスィ・アカル、アビディン・ユナル、ヤシャル・ギュレルは証人だ」
私がこのクーデターに参加しなかったことについて、フルスィ・アカル参謀総長、アビディン・ウナル空軍司令官、ヤシャル・ギュレル参謀副総長と部屋にいた他の空軍の将官が証人だ。休息を求める。また、私は、パラレル構造と闘った人物の一人である。
この点について、ネジデト・オゼル前参謀総長、メフメト・ユルドゥルム大佐・民間航空機パイロット(退職)、ジャヒト・デミルビュケン下士官(退役)、ハカン・フィダン国家諜報機関(MİT)事務次官に問い合わせほしい。ハカン・フィダンへエチメスグト空軍病院の院長から届いたリストを直接手渡した。調査し結果を報告するように言った。私は軍内のパラレル構造と闘うため、最善の努力を尽くした。
■「パラレル構造が(クーデターを)実行したと考えている」
私の経験では、この軍事クーデターをパラレル構造が実行したと考えているが、このクーデターをトルコ軍(TSK)内の誰が組織化して実行したが、わからない。
私はこの問題についていかなる知識もない。私を任命リストでは、参謀副総長として示している。私は実際には参謀副総長より古参である。
私はこの構造に向けて戦っていた。私の空軍司令官時代には、この構造に関係ある多くの人物を空軍士官学校に入れなかった。
そのうえ、イズミル・スパイ事件の場合、この問題が売春問題であるとして多くの活動を行った。トルコ空軍は国民の一部である。トルコ空軍の学生の選抜は、大変厳格におこなわれている。にもかかわらず、今もなお(パラレル構造関係者の)浸入が起こっている。
■「ペンシルヴァニアの人物はこのクーデターを起こす力はない」
トルコ空軍及び空軍司令部の内部でこの構造に関わる人物が何人いるか知らない。
軍事クーデターの試みは、力のないトルコを望む外国勢力の仕業の可能性がある。
ペンシルヴァニアにいる人物は、命令を下しこのクーデターを起こさせる力はない。この事件ではパラレル構造が利用された可能性がある。クビライ・セルチュク空軍少将、メフメト・ディシュリ准将とこの軍事クーデターをなぜ行おうとしたのかについて詳細に話し合っていない。どのような目的でクーデターが行われたのか知らない。
参謀総長を見た時、彼の首に傷跡があった。いま疲れている、この先より詳細な説明を行えよう、と述べた。
私は今回のクーデターを実行した将官たちと一言も話していない。これも私が参加していないことを示している、と述べた。
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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:40909 )