ボスフォラス橋でリンチ殺害の兵士の父「犯人を訴える」
2016年07月30日付 Cumhuriyet 紙


ボスフォラス橋はトルコ国軍内の一グループによる7月15日のクーデター未遂の現場の一つで、その後名前が「殉職者の橋」に変えられた。この橋でリンチされた歩兵のクルトゥルシュ・カヤさんの父親、サトゥルムシュ・カヤさんは、「私の息子を『演習がある』と言って現場へ連れ出した指揮官たちと、リンチした犯人らを訴える」と述べた。

チャンクル県のゲルメジェ村に住むサトゥルムシュ・カヤさんには4人の子供がいる。兵役のためイスタンブルのクレリ士官高等学校の後方支援部隊に所属し、売店で働いていた息子のクルトゥルシュ・カヤさんが、復員の12日前に起きたクーデター未遂の際にリンチされたと述べた。カヤさんは国民の責務を果たすために送り出した息子がリンチのような恐ろしい事件の犠牲となった悲しみに暮れており、これを許さないと述べ、次のように語った。

「私は息子を国の務めを果たすために送り出した。彼らは演習があると言って息子を連れ出した。そこで市民にリンチされて殺されたそうだ。村長がインターネット上でリンチ映像を見つけ、知らせてくれた。役人は一人も電話してこなかった。私は息子が亡くなったことを同じ村の人たちから聞いた。私は国に助けられながら生きてきた人間だ。私の子供はクーデターが何かも知らないし、分からない。どんな教団との関わりも一切ない。慎ましいアナトリアの若者だ。あの子を演習があると言って連れ出した指揮官全員とリンチをした犯人を訴えるつもりだ。この事件を最後まで追いかけ続ける。」

クーデター未遂の2日後に息子のクルトゥルシュさんを村で埋葬した父親のサトゥルムシュ・カヤさんは、双子の息子たちに寄りかかり、慰められている。「私も、息子たちも愛国主義者だ。私は息子を国に捧げた。だが、返ってきたのは息子の亡骸だった。私には息子があと二人いるが、この国のために彼らを捧げる心づもりはできている。私たちが被った不公正を正すため、国からの支援を期待したい」と述べた。

村のモスクで息子のために追悼の詩がささげられた後、サトゥルムシュ・カヤさんは息子がクーデター犯のように扱われ、リンチされたために、自分たちが違った目で見られることを非常に不快に思っているとも述べた。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:40970 )