クーデター未遂以後の「魔女狩り」犠牲者
2016年08月06日付 Cumhuriyet 紙
7月15日に起こったクーデター未遂事件後発された非常事態令(OHAL)と共に開始された多くの「解雇、停職、免職」が、人権侵害に関する一連の主張を引き起こしている。ジュムフリイェト紙は、イスタンブル広域市局(İBB)や、関係企業、国民教育相省、トルコ国営放送(TRT)で行われた「魔女狩り」の話をまとめた…。
1.OHALが発令されると補償はなかったことに
İBBに関係する企業のうちの一つであるスポーツA・Sに勤めていたアイススケート講師は7月20日に補償とほかの権利を与えられたうえで解雇された。7月23日に OHALが発令され、官報に法令が掲載された後、アイススケート講師は解雇手続きの変更を知った。講師は7月25日に再び解雇されたがこのとき補償はつかなかった。匿名を希望する講師の家族は、この件について失業給付を受け取る時に知ったことを明らかにし、補償を与えないためにOHALが利用されたと指摘した。家族は訴訟を起こす準備をしている。共和人民党(CHP)のフセイン・サー議員は、「OHALの諸条件においてあなた方が以前から可能であると考え、『フェトフッラー系テロ組織(FETÖ)ではないが我々の側でもない』とあなた方がする労働者に補償なしに解雇するための一つの方法としてそれが利用されるならばこれは非人道的な行いだ」と話した。
2.教育労働組合員のカラ:そのリストにどうして載ったのか?
教育労働組合(Eğitim Sen)イズミル第一支部メンバーで、教師のシェイダ・カラさんは、教団関係者に関する捜査の中で免職された。カラさんは、今まで全く教団と関係していないと述べ、「まだ供述は取られていない、必要な機関に異議を申したてました」と話した。カラさんは免職通知において、ソーシャルメディアを通じてギュレングループの宣伝を行い、財政支援を行ったなどの理由が記され免職されたことを説明し次のように話した。 「私の人生で、教団との接触は全くなかった。そのリストになぜ私が載ったのか全く分からない。私はソーシャルメディアで宣伝したとして訴えられたが、逆に私は非難する投稿をしていた。」
3.私の考えのために
イスタンブル広域市芸術・職業訓練所((İSMEK)の中で始められた一連の解雇で、音楽講師として5年間 İSMEKで働いていたチュライ・ジョシュクンさんも職を失った。チュライさんは教団とは一切関係を持っていないと話し、次のように続けた。「私の唯一の目的は、音楽活動をおこなえることだ。」 チュライさんは解雇の理由を知らず、電話に届いたメッセージでフェトフッラー・ギュレンと関係していると断定された。チュライさんに届いたメッセージの一節が目を引く。 「違法な構造と戦うために」という表現で始まるメッセージは次のように続いている。「…この範囲で私たちのもとに届けられた情報に照らし合わせ、雇用契約は、2016年7月22日付 で第4857号労働法25条II項にもとづき終了された。」告発された罪について決して認めないと強調したチュライさんは、「すべての人のように私は考えがあり、何も言わずに逃げることはなかった。ソーシャルメディアの私の投稿を理由にそのための隠れ蓑を用意して私を解雇したのだと思います。政治は私の仕事ではありません、だからその仕事を担うすべての人が一刻も早く今起きているこの不正に耳を傾けることを望みます」と話した。
4.政治的見解が異なっていた
レジェプ・タイップ・エルドアン大統領の人生から発想を得て制作されたTRTのドラマ「情熱は鳥の翼に乗って」の助監督をしていたオズレム・ゲイクさんは、政治的見解が異なっていたため解雇された。オズレムさんは、シリーズの最終回を撮影した日に解雇手続きがとられたと話し次のように続けた。「監督は3-4日前に私に電話をし、言いづらそうにしながら、『政治的見解が異なっているのであなたが働くことは望まれていない』と話した。無理やり私をクビにした。」オズレムさんは、クーデターが起きた日の夜にソーシャルメディアのアカウントから投稿したと話し、「そもそもクーデターが起きたのでほとんどの役者がすでに路上にいた。問題はなかった。チームから通報があったのかもしれないと思う」と語った。オズレムさんはTRT関係者が彼女の政治的見解について友人を介して聞いたのだろうと述べ、会議が開かれ監督に解雇に関する圧力がかけられたと主張した。そして、トゥンジェリ出身であることと、政治的見解を理由にこれらが起きたのだと話し、労働組合を通じて権利を主張すると述べた。クーデター後TRTで300人が停職になっている。
5.ゲズィで医者をしていた
イスタンブル市営交通総局で産業医をしていたヒュセイン・ガーズィ・ヤマンさんは、7月15日に起こったクーデターの後解雇された。ゲズィ公園抵抗運動で医師として活動していたヒュセインさんは、「最大の屈辱は、長年にわたり我々が戦ってきた、対立してきたクーデター犯、FETÖと一緒に訴えられたことだ。クーデター犯や、教団関係者といったことは、私を訴える口実として最後に思いつくことだ。私たちにいかなる説明もされず、解雇を示す短い通知文書を受け取った」と話した。イスタンブル医師会も同氏の解雇について非難し、医師会を代表して会見を行った理事会メンバーメラハット・ジェンギズさんは「クーデターを悪用し、OHALを口実に、人員整理が行われることを黙って見過ごすわけにはいかない」と話した。医師会は、イスタンブル広域市のカーディル・トプバシュ市長に一通の手紙を書いた。手紙には「民主的な戦いをしている人々の名誉を傷つけることをしないでほしい。ヤマン氏の免職を取りやめてほしい」とつづられていた。
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( 翻訳者:尾形知恵 )
( 記事ID:41012 )