ギュレン派研究のハーカン・ヤブズ教授インタビュー「敗戦から分裂へ」
2016年08月21日付 Hurriyet 紙

(逮捕された連中は)一方で夢のような話を次々に自白している…。もう一方で「だ」「である」といった断定的な発言をする我が国のテレビ・コメンテーター…。また未だ、国際的陰謀だと騒ぐ政治家たち…。これらの雑音から健全な解析を取り出すことは難しい。トルコでギュレンに関して出版されている客観的な学術研究の数は1つ、2つに満たない。世界で教団(ジェマート、ギュレン教団のこと)を最もよく研究している人物の一人であり、第一人者であるのが、ユタ大学政治情報学部のハーカン・ヤヴズ教授である…。ヤヴズ教授は、一時期、教団に近い立場に立ち、フェトフッラー・ギュレンと何度もインタビューを行っていた。しかし、2000年代の終わりに本紙に3回にわたり声明を発表し、ギュレン派とはっきりと距離を置いた人物だ。教団について最初の国際的学術活動を行い、2冊目の著書はオックスフォード大学出版から出版された。ギュレン派テロ組織の最近の状況とトルコでこの仕組みを生み出した社会的倫理の問題について、彼と話をした。

-ギュレン派テロ組織のクーデターは何が目的だったんでしょうか?

「これは、政治的イスラム、つまり公正発展党(AKP)と社会的イスラムに支えられている教団との間の権力争いの暴力的形態である。目的は、AKP運動の創設者かつ象徴であるエルドアン大統領を取り除くことだった。12月17日~25日に中途半端に留まった仕事(訳者注:2013年12月17日に政府高官に関する汚職事件が発生し、ギュレン派による捜査が行われた)の続きだった。トルコを― 多くは、欧米の期待に応える形で ―再構築することだった。「(ギュレン派の)黄金世代による独裁体制」を構築するつもりだった。「黄金世代の士官」が退役させられることを懸念して、クーデターが早めに実施された。狙いは、イスラム法やイスラム主義体制ではなく、権力の独占だった。」

-ギュレン自らが組織したことは、はっきりしているんですか?

「その質問に「はい」と言えるほどの「明確な証拠」はない。しかし軍での支持者たちがおこなったものである。フェトフッラー・ギュレンは『私に共感を寄せる者たちが行った可能性があるが、私は命じていない』と述べた。このような深刻な結果を生むであろうクーデターが、彼の同意なしに行われはしない。しかしこれをアメリカの法廷で証明することはとても難しい。彼自身が書いたり言ったりした命令の記録は未だにないのだから。」

-組織はどうしてこのように痕跡を残さずに活動できているんでしょうか?

「教団の「隠れた顔」は常にあり、社会学的な研究は一切行われなかった。この秘密の側面を、従順な仕組みに支えられる、「Opus Dei(キリスト教カトリックの属人区)」になぞらえている。この暗い側面を開示しようとする人々は封じ込められた。常に隠そうとしてきた。」

-どのようにして?

「新聞記者、教師、医師、警官、軍隊、弁護士、裁判官といった職業グループに応じてリンクがある。このリンクの中で縦横の網がはられていて、リンク間の関係を整える「イマームたち」がいる。しかし3つのリンクは、秘密裏に、かつ頂点に、つまりギュレンにつながっている。この3つのリンクは、警察、軍隊、財務だ。ギュレン師に最も近しい者たちでさえ、この3つのリンクの動きを知らない。師は自伝『私の小さな世界』で常に用心深く、隠れるよう強調している。その後、教団のアンカラでのヘッドクオーターは警察学校(ポリス・アカデミー)にあった。彼らは犯罪にも密接に関わった。警察官が主導する以上、その運動は、犯罪、盗聴、恐喝をふくむものとなった。」

■ギュレンの武装教団員はスアト・ユルドゥルム

-決定を執り行った、上層部の指導者たちは誰ですか?

「それぞれのリンクは、状況に応じて、その重要性を変えていった。重要になったリンクの「イマーム」が威信を高める。トルコでの組織のなかで最も重要な人物は、ハルン・トカク、ムスタファ・イェシル、ムスタファ・オズジャン、エクレム・ドゥマンル、ヒダイェト・カラジャだった。しかし三つのリンクは直接、ギュレンにつながっていたままだった。(空軍のイマームであったとされる)アディル・オクスズは直接ギュレンにつながっている。運動の中で彼のことはわからないが。わかっているのは、アディル・オクスズの師が神学部教授のスアト・ユルドゥルムであることだ。彼は、今アメリカでギュレンのそばにいる、運動の武装教団員は彼だ。サカルヤ大学の神学部を意のままに動かしている。アディル・オクスズをそこへ迎え入れた。運動内で最も明らかでない部分が神学部出身者たちの動きである。」

-何故?

「トルコでは単純にこう信じられている、『敬虔な人間は倫理的で安全である』と。この隠れ蓑のもと、全ての汚い仕事は彼らが行った。イスラムの中身が無くなり、権力闘争の道具となった。市場競争、政治的勝利という目標の中でそうなった。全ての大学に神学部がある。学術的貢献とは何だ?モスク、神学部の増加に付随して、倫理の墜落と野蛮化を経験した。宗教は、倫理的であるために十分な基盤を提供しない。慈悲と寛容の名の下で出発したギュレン教団が今現在に至ったことを理解するには、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』という小説は再び読まれるべきだ。」

-エーコは何と言ったんですか?

「カトリック司祭たちが、ある主張のために、どのように人を殺め、無罪の人間を簡単に殺したのかを、伝えている。あるイデオロギーを信じたものは、そのイデオロギーにすべてを捧げる。批判や疑問を敵と見なす。イデオロギーに準るものではなく、批判をし疑いを抱く世代を育てる必要がある。しかし「先導者」の多くが神学部出身者であるが、道徳的規範から外れてしまった。 トルコの問題は、道徳だ。ギュレン教団が示しているのは、この病的構造の現れなのだ。」

-つまりクーデターを神学部出身者が組織したと…

「きわめて秘密裏に組織された。今後も名前が決してわからないイマームたちの仕事である。もちろん中心には、参謀本部の人事局長イルハン・ タル空軍中将と人事計画運営部長メフメト・パルティゴチ空軍准将がいたようである。しかし将官達の全部が、ギュレン派だったわけではないと思う。7月15日クーデターは軍部内にため込まれたガスが、ギュレン派士官によって爆発したものである。」

■ギュレンは恐がりで、死にたくないと思っている人物!

-ギュレン派テロ組織の国外での有力者たちは今何をしているのですか?計画は何ですか?具体的に聞いておられることはありますか?

「頂点の「Aグループ」もしくは「政治局」のメンバーといえる「先導者」の多くは、ため込んだ資金を使って新しい生活を築こうとしている。しかし向いている方向は西向きだ。高学歴な連中は、敗戦したナチスの士官たちのような精神状態である。認識論的な危機に陥っている。一部は、イマームを疑い始めたと聞いている。」

-(あなたの言う)イマームとは?

「これまでの出来事とアイデンティティを構築してきた規範的(倫理的)な構図が崩壊した。多くは、それを受入れられないでいる。彼らは「ヒズメット(訳者注:奉仕という意味で、ギュレン派が自教団を指して言う言葉)」がすでに汚れたブランドであると考えていて、模索中である。現況についてフェトフッラー・ギュレンとトルコにいる「先導者」の責任だと考えている。実は、クーデター中にクーデターがある。教団内での若いメンバーの反抗は、徐々に広がっている。一部の人々はギュレン師がトルコに戻る必要があると考えている。」

-公言しているんですか?ギュレンは聞き入れますか?

「教団内の抵抗がどれくらい広がるかにかかっている。しかしギュレン周辺の「政治局」がトルコ帰還を許可するとは思わない。そもそもギュレンはこの政治局の手の中の人質だ。 本人の性格からも戻るとは思えない。恐がりで、死にたくないと思っている…。しかし「ヒズメット」ブランドは賞味期限が過ぎ、立て直すことは不可能だ。」

-自白した士官が「ギュレン派テロ組織の新たな標的はエルドアン大統領を暗殺すること」と言った。これは可能ですか?

「軍部、警察から解任された何万人もの人が居る。これ以上、失うものはない…。この種の人間は狂った地雷のようだ。向こう数年は、大きな緊張を孕んでいる。治安機構は崩壊し、司法は大きな損害を被った…。そこら中に自爆しそうな人間がいる。」

-CIAやアメリカ合衆国はこのことに関係していますか?絶えず名前が出てくる、2人の元CIA職員、グラハム・フュラーとヘンリー・バーキーをあなたはご存じです。関係はあり得るのでしょうか?

「二人のことはよく知っている。フュラーはトルコを長年観察し、いい仕事をした。しかしすでにアメリカでなく、カナダで暮らしている。トルコをもう何年も追っておらず、間違った判断を下すアナリストだ。彼自身を過大評価するのはまったくの陰謀論である…。ヘンリー・バーキーは長年話していないが、半分はスパイ、半分は学者だ…。学界でも政界でも影響力はないが。クーデターの夜、彼がトルコにいたと知っているが、メディアで報じられた以上の情報は知らない。ジェームス・ジェフリー元在アンカラアメリカ大使は、フェラーが「愚か」だったと言っていた。率直に言ってこの評価は大きく間違ってはいない。この2人は横に置いておこう。しかしアメリカの一部の人はクーデターが失敗したことを悲しみ、クーデターの時、すぐに態度を決めず(その後)、悪い評価を受けた。」

-アメリカはギュレンをトルコに戻しますか?

「トルコが良い証拠書類を用意したとトルコメディアから知った。しかしウォール・ストリート・ジャーナルでデヴリン・バッレットとアダム・エントウスが『疑惑は多数あるが、証拠不足である』と書いた。トルコの政治的立場と用意された書類の法的な内容が大事だ。」

■拷問の映像がとても酷い

-クーデターへの反発、取られた対策をどう見ますか?

「嫁たちが姑たちを嗅ぎ回っているようだ!海外メディアはクーデターよりむしろ、人権侵害とその扱いに注目している。海外では、激しい反エルドアン感情がある。この底流には、何世紀にも渡る反イスラムと反トルコ…。トルコは上手に自身を伝えられず、伝える人物がいない。拷問の映像は、ことを非常に難しくした。」

-どういうことですか?

「ドイツの哲学者、ヴァルター・ベンヤミンは、『歴史はもはや映像によって作られる、言説によってではなく』と言っている。その映像が「拷問者トルコ」のイメージをつくった。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの7月24日付けの報告が強く影響した。トルコは事情を説明できなかった。国際的な規模で著し、また著せる唯一の人物が、イブラヒム・カルンだった。トルコの官僚と政治家のレベルは望まれるクオリティからはほど遠い。残念な状況だ。海外で教育を受けたトルコ人は帰国を望まない。コロンビア大学で博士課程を終えたある若者は『トルコで教授になるくらいなら、アメリカでレストランの給仕になる』と言っている。」

-何故?

「あなたがインタビュー行って、トルコでギュレン教団を最も良く研究しているヤヴズ・チョバンオール氏は、トゥンジェリで仕事を見つけられた。トルコ中心部の大学で仕事を得られないのは、教団的な派閥のメンバーではないからだ。ボアズィチ大学やイスタンブル・ビルギ大学も彼を採用しない。そこにある仕組みがそれを許さない。トルコは才能ある人々を消耗させる場所である。」

■多くのAKP党員を削ると、下から教団が出てくる

-このことでAKPの責任はどのくらいでしょうか?「アッラーが我らを許しますように」との言葉を、どのように受け止める必要があるでしょうか?

「教団が悪い道に陥ったことについて、党の罪は大きい。国民教育省、法務省、内務省の鍵を教団の手に渡したのはAKPなのだ。当時の大臣たちは彼らと共同で動いていた。さらに一部の大臣の子ども達を教団が教育した。国会議員や市長になるためにギュレンの手にキスした。(AKPとギュレン派は)お互いをとてもよく知っている2つの組織だ。彼らは政権与党へと共に歩み、共同で活動した。今日AKP党員の多くの政治家を軽く削れば、下から教団が出てくる。 ゼケリヤ・オズと当時の検事たちの無法の振る舞いを、政府は大いに支えていた。今日の政治が法律をこれ以上弄ばず、諸機構を他の教団に委ねないよう願いたい。」

-このような意図はあるのでしょうか?

「他の教団が支配的になる警察組織ができあがっている。ナクシュバンディー教団が空白を埋めるために闘いを始めたのはとても残念だ。保健省にはある一定のグループが主導権を握っているといわれている。昔はエネルギー省にも同じ教団が支配的であったと言われている(メンズィル教団を指している)。懸念材料だ。7月15日クーデターから学び、世俗主義の仕組みを守り、才能に準拠したシステムが重視される必要がある。」

-なぜ我々はこの袋小路から逃れられないのですか?

「クオリティの低さ、野蛮さ、コンクリート[公共事業のこと]の他に目的がない歴代与党が原因だ。アンカラでバラックのように建っている国民図書館と、その周りのショッピングモールをご覧なさい!社会的な素材は無視された。すべてが多車線道路、橋、舗装作業から成り立っていると考えられた。そして薄っぺらな社会、薄っぺらな国が出現した。コンクリートで舗装することで社会は成立しない。国は、法律や社会的道徳の点で、丸裸だ。問題は政治的なものではなく、道徳的なものだ。道徳の構築はショッピングモールの建設には似ていない。」

-こうした出来事全てが政府の「敬虔な世代」計画に影響するでしょうか?

「我々が目的は、「考えるトルコ」か、「服従するトルコ」かだ?(ギュレン派の)「黄金の世代」計画がどんなことを引き起こしたのか、そこから教訓を得ないのか、国の任務は、これではない。道徳の条件は、宗教的な敬虔さではない。またトルコのイスラム主義化は大きな問題を生む可能性がある。中東で宗派戦争が生じる中、我々も諸宗派の戦争に直面しかねない。とても気がかりだ。引き裂かれ、すり切れた道徳的な構造を宗教で立て直すことは出来ない。」

■建国の哲学を再び

-教授は大統領と首相の最近の「アタトゥルク主義者」的なメッセージをどのように解釈しますか?

「日和見的なものでないことを願っている。国が能力を重んじ、法を重視し、教団のしがらみではなく国民としてのつながりを訴え、批判的な考え方を認める建国の哲学を活気づけなければならない。諸々の声明は私に希望を与えている。」

-大統領が権力を集中すれば、世俗派とは再び離反しますか?たとえば「(タクスィムの)砲兵兵舎」を造らせますか?

「そうは思わない。12月17日~25日の過程と、7月15日クーデターは、新しい政治をもたらしたと思う。和解の姿勢が続く必要がある。」

-AKPが代表する「勢力」は世俗派と和解出来るでしょうか?

「出来るが、しかし問題は単に「和平」状態にすることか、それとも「共生する」ことか?社会として成り立つには、「和平」状態の先へ行くことが必要だ。この件では重大な懸念がある。我々の道徳的な地盤は、とても弱く、さらに言えば何もないなのだ。」

-AKP層は西洋的な意味での民主主義を望んでいるのでしょうか?

「疑わしい。我々の政治的な文化、法的な文化、組織は、西洋的な意味での民主主義を支える力を持っていない。民主主義は一夜では構築されないものだ。我々はこの過程の出発点にいる。そして良いスタートをきれなかった。」

-自由主義的な民主主義を望むなら、政治的イスラムが抑えられ、統制下に置かれることが必要でしょうか?政治的イスラムが強化されると、あたりはバラの花園ではないことがわかっていますが……。この矛盾をどう解決しますか?

「イスラムは我々の信仰だ。我々の政治文化を支える最も重要なシンボルの源泉だ。他の宗教のように民主主義と折り合わない。折り合うことが求められるわけでもない。 神の規則と社会が考えを同じくして築いた規則はいつでも折り合うことが難しい。一つの基盤には啓示が、もうひとつには理性がある。イスラム諸国での試みは、イスラム政治運動が成功をおさめていないことを示した。これは「宗教を排除せよ」ということではない。政治と公共空間ではありえる。だが国家構造の外にあってしかるべきだ。」

-教授は自身の活動のなかで、長年、教団やAKPをイスラムを民主主義に導く扉として扱ってなさいました。幻滅を経験されたのではないでしょうか?

「強い期待を抱いていた。私はイスラムと民主主義や近代性の融合が行なえると考えていた。大きな期待を抱いて多くの研究を発表してきたが、不安材料にも言及してきた。2008年に今後の行方に悲観した。本紙上で私が叫んだ言葉に教団は耳をふさいで、私を標的に据えたのだ。」

-立ち上がるには、どうしなくてはなりませんか?

「ヨーロッパと手を切ることや、アメリカとの敵対関係は、悪い影響を及ぼす。トルコは同盟国なしでは生きられない。この同盟国にロシアはならない。EUがトルコを見下すことを許してはならないが、彼らがわかる言葉で話さなくてはならない。我々の政治と経済上の中心はブリュッセルだ。そう留まらねばならない。」

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( 翻訳者:伊藤梓子 )
( 記事ID:41091 )