アンカラ空爆のパイロット「クーデターと知って実行した」
2016年10月19日付 Hurriyet 紙


大統領府を空爆したパイロットだとされるミュスリム・マジト被告が、9月30日に2度目の陳述をした。マジト被告は陳述で、「我々の、奉仕運動もしくは教団がクーデターを起こしたことは知っていた。知りながら空爆を実行した」と述べた。

被告は、爆弾投下地点を指示したアフメト・オズチェティン大佐も民間人からこの指示を受けていたと主張し、2度目の陳述で以下のように話した。

■随意に撃て

「デスクにはメテ・カイグスズ大尉、アフメト・トスン大尉、アフメト・オズチェティン大佐がいた。オズチェティン大佐に指示をした人物たちはクラブにいた。ハカン・エヴリムとクビライ・セルチュク以外は知らない人たちだった。トスン大尉は無線で、メフメト・ファティヒ・チャヴルから受けた指示を戦闘機に伝え始めた。チャヴルはアフメト・オズチェティン大佐から指示を受けた。トスン大尉も飛行中の戦闘機に向け、『国会、随意に撃て。クズライから低空飛行せよ。トルコサット、随意に撃て。参謀指令本部を低空飛行で通過せよ』と指示を出し始めた。

■キュッリイェ(複合施設)に降下した

「まず離陸前に渡された座標域に入った。軍警察総司令部の前を示していた。司令塔にいるハカン・カラクシュ中佐が『座標域で待機し続けよ、それから指示を出す』と言った。その後中佐は、座標近くの交差点、モスクの前、座標の西を指定した。私が『西には何もありません』と言うと、カラクシュ中佐は他の戦闘機に、随意に撃てと命令した。そのため私は機体を降下させ、爆弾MK82を目視で確認しながら交差点に投下した。そして再び上空に戻った。大統領府のキュッリイェと、その中のモスクの近くまで降下し、確認しながら爆弾を落とした。モスクの横にも爆弾を投下した。少しして、エルズルムからの戦闘機が私を止めにやって来た。そのため私も基地へ戻った。この時私は、我々が、つまり奉仕運動もしくは教団が、クーデターを実行していると知っていた。

■現場で、指示を出していた

私はテレビでアディル・オクスズを見た。直接の知り合いではなかった。クーデター後逮捕され、刑務所に入った際、カイグスズ大尉がアディル・オクスズも現場にいたと話してくれた。5人から10人の普段着の人物たちが常に電話で連絡を取り合い、同時に身振り手振りを使って彼らがクーデターを起こしたのだとわかった。アフメト・オズチェティン大佐も、私が先に述べたこの普段着の人物たちから、情報や指示を得ていたのだと思う。

■5人知っていた

メフメト・ファティヒ・チャヴルが誰からクーデター命令を受けていたかは知らない。我々にはその人物の名前を明かさなかった。しかし5人がその名前を知っていると話していた。

■兵士らが早くに始めた

カラクシュ中佐は会議で、「深夜に作戦を開始する。必要であれば君たちを呼ぶ」と述べた。我々が7月16日の朝、計画がなぜ失敗したかについての話をしていた際、オズギュル・オズギュンが「兵士らが予定より早く行動を起こした。そのため、計画が早まってしまった」と言っていたのを覚えている。」

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( 翻訳者:星井菜月 )
( 記事ID:41449 )