IS犯行声明―レイナ襲撃、犯人4回装填120発発砲
2017年01月02日付 Hurriyet 紙


速報:レイナ襲撃にDEAŞが犯行声明!

イスタンブルで有名な娯楽施設、レイナで起こった襲撃テロに新たな進展。ロイター通信社によると、レイナでの39名の命を奪った卑劣な襲撃テロにDEAŞが犯行声明を出したとのことだ。襲撃殺人の詳細も明らかになっている。犯人は4回装填。120発発砲。床に倒れた人たちの頭も撃ち抜いた!


レイナでの襲撃テロは、大晦日の夜、イスタンブルでその血塗られた姿を現した。オルタキョイにあるナイトクラブ、レイナにタクシーで乗り付けたテロリストは、車のトランクからカラシュニコフライフルを取り出した。そしてそのライフルで周囲をランダムに発砲しながら扉に近づく。始めに扉のところにいた警官ブラク・ユルドゥズさんを撃った。次にテロリストの犠牲となったのは警官ユルドゥズさんと話をしていた、ある観光会社の運転手アイハン=アルクさんであった。

■まずは上の階に上った

この二人の殺人の次に建物の中に入ったテロリストはまず、レイナの上の階に上がった。そして下の階(1階)で楽しんでいた客たちに向け発砲した後、地上階におり、至近距離から発砲を続けた。警察の情報によると、30発入る挿弾子を4回装填したとのこと。レイナで新年の始まりを祝う最中にテロの被害にあった人に一部は、生き残るためにボスポラス海峡に飛びこんだ。

■下に着ていた違う服で逃亡した

テロリストは、冷静沈着で、床に倒れた何人かのけが人の頭を撃ち抜いた。そのあと着ていたコートを脱ぎ去り、下に着ていた違う服でレイナから去り、行方をくらませた。
襲撃当時レイナにいたものたちは、テロに遭った。レイナの警備員であるエムラハ・アルトゥン氏は、「私が聞いた音によれば、テロリストは自動小銃を手に持っていた」といった。テロリストがクラブに入った後どうしたか、という問いに関して彼は、「逃げたさ、何ができる?逃げることだよ」と答えた。アルトゥン氏のジャケットも縦に引き裂かれていたのが見て取れた。

■床に倒れた人々の頭を撃ち抜いた

レイナ襲撃殺人事件の15分前、約200メートル離れたところでは、オルタキョイ広場においてベシクタシュ市が主催する新年のお祝いがあった。警察官たちもこの祝賀行事のためにオルタキョイの出入りに大変警戒していた。ナイトクラブでの大量殺人の後には、何百もの警官が現場に駆けつけた。オルタキョイの出入りは封鎖。現場に来た何十もの救急車はレイナから負傷者を運び出した。

足を負傷したある観光客は、救急車に運び込まれるとき「手には長銃身銃。皆に対して発砲し、床に倒れた人々の頭を撃ち抜いていた。群集でパニックになっていた」と言った。歩いて救急車のいるところまで来た二人の若い女性はショックを受けていた。負傷者たちが病院に運ばれた後、現場調査チームはレイナで調査を開始。ナイトクラブの前にいた商業タクシーはトレーラーに載せられ調査のために警察庁に送られた。警察チームは襲撃を実行した人物がこのタクシーでナイトクラブに来たのではないかという可能性と考えている。

オルタキョイで、新年の始まりにナイトクラブに襲撃した人物の新たな写真が明らかになった。
写真では、手に長銃身銃、覆面をし、リュックを背負ったテロリストがクラブの扉のところで映っている。

■45秒間銃声は全く絶えなかった!

襲撃に関する一つ目の写真記録は、テロリストが防犯カメラに映った深夜1時20分50秒。そしてテロリストに関する二つ目の防犯カメラの記録は、1時23分00秒に撮られた。この映像では、レイナの中で生きているものはいない。足元には誰も見られず、机が散乱している。その映像でテロリストは、冷静に着ていたコートを脱いでいる。レイナでの襲撃の記録に関する他の映像は、ボスポラス海峡の対岸、ベイレルベイから撮られた。記録では45秒間銃声が全く鳴り止んでいない。カメラ映像は、襲撃が数分といえるような、とても短い間に始まり終わったことを表している。警察の情報によると、襲撃には15~20分かかったとのことだった。

■私の息子は10年間そこでウェイターだったんだ

襲撃の情報が広まると、レイナで働いていた人たち、遊びに来ていた人たちに近しい人々がオルタキョイに殺到した。警察が道路を封鎖していたため、家族近親者は現場に行けなかった。警察と口論になった人もいた。ショックで叫ぶファトマ=ゲイクさんはこう述べた。「私の甥は警備員として働いていた。この一件で怪我はしなかったみたいだ。でも彼の友人の多くは亡くなったらしいんだ。亡くなった彼ら皆を知っていた。あそこの従業員は私たちの家に行き来していたんだよ。」

アイドゥン=ウスルさんは、「息子が10年間ウェイターをしていた。家で私は寝ていたんだ。親戚が電話をくれ、情報をくれた。息子に電話をしたが、でない。今ここにきたが、警察に病院に行けといわれた」といった。朝になると、このオルタキョイに大変多くの機動隊が出動した。オルタキョイーアルナブトキョイ間道路は通行止めにされた。

■サウジアラビア、レバノン、チュニジア、インド

アナドル通信特派員が法務省関係者から得た情報によると、襲撃で命をおとした人々の身元の特定は一人を除き、完了した。この文脈で身元が特定された、1名がイラク、11名がトルコ、1名がトルコ-ベルギー国籍である13人の遺体は、法医学協会での検死解剖、身元確認完了の後、家族の元へ送られた。

検死解剖が終わり身元が特定された25名の外国国籍の遺体に関しては家族がトルコに来てから、明日、引き渡されることが明らかになった。上記の遺体のうち、7名はサウジアラビア、3名はレバノン、以下2名ずつチュニジア、インド、モロッコ、ヨルダン、イラク、以下1名ずつ、クウェート、カナダ、イスラエル、シリアそしてロシア国民であることも明らかにされた。

■不運:ベシクタシュの爆弾事件では助かったのに

警備チーフであるファティヒ・チャクマクさんは35歳であった。自身の警備チームとともに勤務していた。12月10日、ヴォーダフォン・アリーナ・スタジアムでおきた爆発攻撃の時も勤務中であった。死から、ほんの少しの違いで助かった。大晦日の夜には、以前も何度か勤務したことのあったレイナにいた。犯人の銃弾によって第一の犠牲者となった。

検死解剖を終えたチャクマクさんの遺体は家族に届けられた。兄であるエルハン=チャクマクさんは「我が弟を殺した。無駄死だ。「トルコに平安を」と私に慰めがいわれた。私は「そうさ」と答えた。「すべてがこの国の子供だ」と、慰めがいわれた。しかし彼らは殺した。私の弟を殺したんだ。」と話した。襲撃で命を落とし、特別警備隊であるハティージェ・カルジュラルさんもファティヒ=チャクマクさんのチームで働いていた。彼女もまたヴォーダフォン・アリーナでの爆発で、助かっていた。

ベシクタシュで合計45名が犠牲になったテロ攻撃のすぐ後、フェイスブックでコメントにヴォーダフォン・アリーナの写真をシェアした。その下に「好きでここへ来て、ここへ来るために、仕事するために全身全霊をかけた場所だ。なのに、これからは見るたびに辛くなるだろう」と書いていた。

■夫が私の上にかぶさった

襲撃で怪我をした夫が、シシュリにあるハミディエ・エトファール教育研究病院に運ばれたシネム=ウヤヌクさんは、テロの記憶を以下のように説明した。:
「私たちは楽しんでいたんです。次々に皆が走りはじめました。すると夫が私に『決して怖がらないで』と言いました。夫は私の上に被さりました。皆、私の上を踏んで走っていきました。夫は三箇所打たれたのです。私の上に多いかぶさった人をどけて、出ました。とても怖かったです。一人の人物が乱射していました。二人が銃を撃っていました。中は硝煙の匂いがしており、夫や、他の人は、血まみれでした。そして救急車と警察に通報しました。警察にかけました。警官は『静かに。動かないでください。そうでなければ犠牲になってしまいます。と言いました。私たちは決して動きませんでした』そして機動隊が中に入ってきたのです。」

■イスラエルから来た

ナイトクラブに行われた襲撃で亡くなった39名のうちの1名は19歳のイスラエル人レアンネ・ナッセルさんである。襲撃でナッセルさんがなくなったことをイスラエル外務省が発表した。イスラエルメディアの報道によると、トルコにティラ町からきたナッセルさんは、3人の友人とともにレイナで楽しんでいた時ターゲットになった。襲撃でナッセルさんの友人も負傷した。イスラエル外務省広報官は、すでに発表しているように「負傷したイスラエル女性が病院に運ばれた。しかし、命に別条はない。襲撃の際、ナイトクラブにいた2人目のイスラエル女性についての情報はない」と述べた。

■(亡くなった警官の)辛いメッセージ:「あなたのヘルメットが、地面に落ちた」

警察官で21歳であったブラク・ユルドゥズさんは、警察官高等学校を1年半前に卒業した。12月10日のベシクタシュのヴォーダフォン・アリーナで、テロ攻撃で犠牲となった仲間のためにインスタグラムのコメントに、「あなたのヘルメットが地面に落ちた。お母様がキスをする額を守るヘルメットが・・ね。あなたの夢はストレッチャーの上。誰にわかろう、あなたが何歳だったか。20歳?、21歳?、22歳?あなたの勇敢さは年齢では測れない」と書いていた。

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( 翻訳者:西山みなみ )
( 記事ID:41873 )