イズミル裁判所の前で昨日実行された惨劇で、命を犠牲にして人々を守った英雄警察、フェトヒ・セキンは、大惨事となることを防いだ。殉職交通警察官のフェトヒ・セキンが裁判所の前で任務を遂行し、テロリストに気づいて車を止め、テロリストが車から降り逃げようとしたとき、武器をとりテロリストの一人をそこで殺し、その後殉職者となったことが判明した。ヒュッリイェトのソーシャルメディアアカウントに、殉職警察官との約一か月前の思い出を記し、「殉職した私たちの兄弟よ、安らかに眠ってください。」と述べた通訳のギュネル・タヒルリ・ジャンスが語ったことは、皆の心を動かした。殉職警察官のフェトヒ・セキンと「アゼルバイジャン出身で、トルコに嫁いできた」というジャンスが書いたことは・・・。
昨日16時10分イズミル裁判所の前に爆弾を積んだ車両とともにやってきたテロリストは、Cドアを使って裁判官・検察官車両専用駐車場に入ろうとした。ここで交通警察官であるフェトヒ・セキンが許可しなかったため車から降り、走って逃げたテロリストの一人は、手の中の仕掛けでLPGガスで走る車に積んだ爆弾を爆発させた。車両のLPGのタンクも吹き飛んだ。イズミル警察交通管制支部でオートバイの「ホークス」チームで警察官であったフェトヒ・セキンはテロリストと銃の弾が終わるまで闘った。セキンは、テロリストの一人を殺し、彼自身も殉職者となった。ほかのテロリストは裁判所から近い建設現場に逃げた。このテロリストとの銃撃戦は、裁判所の周りで警備していたほかの警察官とテロリストの間でしばらく続けられた。二人目のテロリストもその場で殺された。卑劣な攻撃で、裁判官職員ムサ・ジャンと警察官のフェトヒ・セキンが殉職者となった。、
■知事、殉職した警察官について語る
エロル・アイユルドゥズ知事もイズミルの警官がいかに勇敢かを強調した。アイユルドゥズ知事は、「この出来事を防いだ私たちの兄弟が殉職者となった。警察官は彼らを止めようとした。テロリストたちは逃げるとき抵抗し、警察官もそれに対抗している。その後車両が爆発された。すべての情報を検証している。ほかの場所での犯行に警戒態勢をとっている。三名の警察官が負傷した。負傷者の数は6、7名近くだ。治療中である警察官もいる。アッラーよ、彼らを讃えてくれ。」と述べた。
■殉職した警察官に関する涙を誘う「シェア」
ヒュッリイェトのFacebookサイトで、ヒュッリイェト読者が共有したコメントが皆の心を動かした。コメントを載せたのはイズミルで暮らすギュネル・タヒルリ・ジャンスであった。ジャンスは、約一か月前、11月3日に殉職したフェトヒ・セキンとの会話を説明した。ロシア語を知っているので、裁判所で時々通訳を行ったことを述べ、「アゼルバイジャン出身で、トルコに嫁いできました。殉職した私たちの兄さん、安らかに眠ってください。」と語ったギュネル・タヒルリ・ジャンスのこのコメントは以下の通りだ。
■「すみません、家に赤ちゃんを残してきたのです。」
通訳をしているためによくイズミル裁判所に行っている。数週間前裁判に参加せざるを得なかった。裁判の時間までわずかしかなかったのだが、車を留める場所を見つけられなかった。公用車のある場所へ私は近づいた。パトカーがとまっていて、そばに警官がいた。私は裁判に遅れそうだった。窓を開けて警察官にこういった。「すみませんが、私は警察の通訳です。車を留める場所が全く見つからなくて。家に赤ちゃんを残してきています。緊急の裁判に参加して、すぐに家に戻らなくてはいけないのです。私を助けてくれませんか?」と。
■「ここに駐車してもいいですよ。」
警察官はパトカーを動かして、「ここに留めてもいいですよ。」といった。「はい。」といって「すみません、一時間以内には出ます」と私はいった。裁判に行き、それは終わった。出口に警察官の彼がいて、私は近づき感謝を述べた。私に彼は「車の窓ガラスに(罰金の)紙があるけど、自分で取ってくれ。」といった。車に近づき紙をとってまた彼のもとに向かい「すみません、これは罰金じゃないですよね?」と聞いた。すると彼は「ならない。」といい、「罰金をとられないようにと、私がおいたんだ。私はいつもここにいる。心配しないでください。」
■「ああ、殉職者となったフェトヒ・セキンさんだ」
車に戻り紙を車に残した。夜タネルが帰ってきたので、助けてくれたがこんなことがあるのだと説明したら、彼も「捨てないで残しておきなさい。」といった。だが、だがこうなってしまった。今日、爆発で一人の交通警察官が殉職したことを聞いて、同時にあの警察官の彼がどういうわけか頭に浮かんで、自分自身に違うと言い聞かせた。ソーシャルメディアで写真を見て、紙が車に残っていたこともありテナルに電話し、彼に警察官の名前を見て頼んだ。数分後、テナルは紙の写真を送ってきて、「ああ、彼は殉職者となったフェトヒ・セキンだ」といった。まさにギュネル・タヒルリ・ジャンスがいったとおりだ。「親切心をいつでも忘れていなかった。トルコ人の誇りだ。神のご加護があなたにありますように・・・。」
■フェトヒ・セキンとはだれか?
大虐殺を防いだと同時に殉職となった、エラズー・バスキル県生まれの交通警察官フェトヒ・セキンがエラズー・バスキル県にあるドアンジュク村の住民に登録されていたことがわかった。殉職した警察官であるセキンが、62歳の母ハトゥン・セキンを55日前がんのために亡くしていたこと、そして66歳の父メフメット・ゼキ・セキンは妻を亡くした後、イズミルにいる息子のそばにいたことがわかった。6人の兄弟がいて、8年間イズミルにいた殉職警察官のフェトヒ・セキンの遺体はバスキル県にあるドアンジュク村に戻され埋葬されるという。
■殉職警察官は2014年に命をとりとめた
イズミル警察交通管制支部でオートバイの「ホークス」チームの警察官であったフェトヒ・セキンは2014年5月26日に蛇行運転した車との衝突事故で命をとりとめた。違法駐車している車を撤去させたあと、歩いて裁判所の前にある仕事場へ向かったフェトヒ・セキンへ、一方通行の道で蛇行運転してきた自動車が衝突した。衝突の衝撃によって宙に投げられた警察官のフェトヒ・セキンには、5日間休暇の診断が出された。それよりも前に、任務中に小さな事故にあったというフェトヒ・セキンは「このようなことを初めて経験した。違法駐車を撤去したあと仕事場へ戻るために反対側に渡った。このとき一方通行の道で蛇行運転してきた自動車が私に後ろから衝突した。宙に投げ飛ばされた。悪い形で地面に落ちた。運転者を訴えた。」と述べた。
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( 翻訳者:庄原茉美 )
( 記事ID:41920 )