アルジェリア:政府はアマズィーグ暦の新年を公式に祝う
2017年01月12日付 al-Hayat 紙
■アルジェリアはアマズィーグ人〔*〕の祝典を開くことで「カビール地方」の怒りを鎮める
【アルジェリア:アーティフ・ケダドゥラ】
*本記事では一般的な「ベルベル人」の代わりに、彼らの自称である「アマズィーグ人」が用いられている。本訳文では原語を尊重して「アマズィーグ」を用いる。「ベルベル人」はギリシア人から見た「野蛮人」の語の語源とし、「アマズィーグ人」は彼らの言語で「自由人」「高貴な人」を意味する。原文で「ベルベル」が用いられる場合にはこれに従う。
アルジェリア当局は、昨日〔1月11日〕、アマズィーグ暦2967年の新年の祝いとして「イナーイルの日」の祝典を主催した。この日は〔西暦の〕毎年1月12日に当たる。政府当局は今年の式典にはきわめて強い関心を持っていた。それは、〔アマズィーグ人の〕アイデンティティ問題について「和解する」立場のためであり、同時に、先週複数の暴動事件が起きた〔アマズィーグ人の多い〕カビール地方の怒りを鎮めるための処置としてであった。
政府主催の祝典は、同国南部のトレムセン県のブニー・スヌースに始まり、48県で公式に開かれた。また、初等教育省は、同省監督官に「この歴史的出来事」のために教育の日を定めるように命じた。しかし、当局がこの出来事にこれほどの関心を寄せるのは普通のことではない。これは、アマズィーグ人がこの日を有給の休日とするように政府に呼びかける状況下で起きたことであり、なにより憲法によってアマズィーグ語はアラビア語に並ぶ公用語として認められた後であるためだ。
アルジェリアで最も歴史ある野党の「社会主義勢力戦線」は、先週日曜日〔8日〕の声明において、アブドゥルマーリク・セラール首相に「イナーイルの日」を国民の祝日とする決定を下すように要求した。その後同党には「ベルベル系の」著名人たちが合流した。その中で最も著名な人物は、「文化民主連合」の傑出した指導者のヌールッディーン・アイト・ハムーダ氏である。
「社会主義戦戦線」の声明が出されたのは、セラール首相が(同国東南部の)ベジャイヤ県で起きた抗議運動に関して次の発言をした3日後のことであった。「アルジェリアはアラブの春を知らず、アラブの春もアルジェリアを知らない。イナーイルの日を祝う準備のためだ。」セラール首相の発言には、多分に政治性が含まれる。というのも、この発言はアルジェリアには「アマズィーグ的」側面があることを示唆し、それによりアルジェリアは「アラブの春の革命」の候補者リストに含まれるための資質が否定されるのだ。
周知の通り、アマズィーグ語は、アブドゥルアズィーズ・ブーテフリーカ大統領の決定により2002年に「国民言語」とされた。しかし同大統領はその任期の2年目(2001年)には、カビール地方の農村や都市部から現れたデモ活動や暴力行為を押し潰そうとしていた。それでもなお、アマズィーグ語を国民言語としてだけでなく、憲法において公用語として確立させる要求はなされ続け、ついに昨年に行われた最新の憲法改正において認められた。
トレムセン県のブニー・スヌース地区は、この機会に地域固有の伝統や慣習を披露するための公式の祝典を予定している。この祝典にはさまざまな組合や青少年団体が招待され、今年必ず参加するだろう。
これに関連して、青年スポーツ省のハーディー・ウルド・アリー大臣は、首相によるこの祝典の主催は、この日を国民の祝日にする確かな政治的意図と同等にみなされるとする見解を示した。同大臣はティーズィー・ウズー市への訪問の際に次のように述べた。「この〔イナーイルの日に関する〕出来事のための祝典は、48県にわたって行われ、多くの地域が参加することから、国民的な側面を帯びるようになった。このことは、アマズィーグのアイデンティティと文化との深い関係を評価するという国家の誓いが果たされていることを映し出している。」
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( 翻訳者:高橋 舜 )
( 記事ID:41953 )