故郷はここだけ―急激に変わりゆくエスファハーン・ジョルファ地区のアルメニア人街(2)
2016年12月22日付 Iran 紙


 ザフラビヤンさんとトゥルスィヤンさんは2人ともこの地区の出身だが、世代は異なっている。一人は約50歳で、もう一人は27歳の若者である。「なぜジョルファのような由緒正しい地区の人々が外国に移住してしまうのですか?」。トゥルスィヤンさんにこう尋ねたところ、彼は次のように答えてくれた。「ここの社会も少しずつ変化しているところでね。アルメニア人の数は減る一方さ」。彼もイランを離れたいとは思っておらず、祖先が暮らしてきた場所での生活を望んでいる。

 ジョルファにいるアルメニア人たちは、サファヴィー朝のシャー・アッバースの時代にエスファハーンに移住してきた。シャー・アッバースがオスマン朝の皇帝との戦争に出陣したとき、彼らをタブリーズのジョルファからエスファハーンに連れていったのである。戦争でより多くの戦場を確保し、戦場から市民らを遠ざけ、兵士らを整備するための土地を得るためだった。他方、資金や技術に恵まれていたアルメニア人たちは、当時の首都だったエスファハーンで、〔王朝に〕多大な奉仕を提供することができる存在だった。

 サファヴィー朝のシャー・アッバースはザーヤンデルード川の南をアルメニア人の居住地と定め、彼らに一定程度の自治権を与えた。タブリーズのジョルファにいたアルメニア人たちは、故郷を思い出して、新たな居住地をジョルファと名付けたのである。

 さて、エスファハーンのジョルファ地区はそれ以来、今に至るまで由緒正しい場所として残ってきた。にもかかわらず、ジョルファは近年、住民らの移住と人口構造の変化にさらされている。

 去る者も残る者も、ある言葉に敏感になっている。それは「少数派」という言葉に対してだ。彼らは実にイラン人的であり、「少数派」の語は自身と自身が属するイランの間にある距離〔を意味するもの〕として感じてしまうのである。トゥルスィヤンさんは言う。「もし一生『少数派』の名で呼ばれたら、あなたはどんな感情を抱くでしょうか」。

つづく


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( 翻訳者:HS )
( 記事ID:41990 )