エジプト:「1月25日革命」記念日の広場には誰もいなかった
2017年01月26日付 al-Hayat 紙

■革命記念日のエジプト各地の広場には、警察――と革命記念の土産物売り――以外誰もいない

【カイロ:アフマド・ルハイム】

フスニー・ムバーラク元大統領の政権を退陣させた2011年の1月25日革命から6度目の記念日となる昨日、エジプト各地の広場には、抗議デモを行う人も、集まる人の一人もいなかった。首都の交通状況は、「公式の休業日」の力により、稀に見る渋滞のなさが見られた。

昨日各地の広場に人がいなかったことは、現政権への対抗勢力、特に「ムスリム同胞」団の動員力、さらには、治安部隊に反抗的な地方においてもデモ隊を出す力をなくしていることを証明した。政権から追放されてから3年以上が経ち、「同胞」団はついにこの真実に気が付いたようである。声明では次のように述べられた。「ここ数年の状況にもかかわらず、革命はいまだ終わっておらず、国を愛する自由なエジプト人すべての心の中に存在する。」この声明で、各地の広場でのデモや集合を呼びかけられることはなかった。これは、過去数年にわたって、彼らがこれらの行動を起こすことに失敗したことを背景としている。

「1月革命」記念日には、治安部隊にお決まりの出動令が発せられたが、部隊の将校と隊員たちは車の中でくつろぎ、彼らの任務は、誰もいない道路に「外出」するかのようであり、冬の最中に訪れた春の空気を愉しんでいた。革命の揺りかごであったタフリール広場には、治安関係の車両がひしめき、より一層の交通状況のよさを示していた。将校たちは、完全武装した制服姿で立っていた。タフリール広場がここに集合したデモ隊や怒りの抗議者によって石が投げられた場であった頃から数年が経ち、すでに彼らには出動と警戒〔の理由〕がなくなっている。治安部隊が昨日タフリール広場にある地下鉄サダト駅を封鎖したことにも特に動機はなかったようだ。その手続きは、当局の者にとってタフリール広場へあらゆる人の集団を向かわせることを回避するためのものであった。しかしそのような想定された集まりは、そもそもどのような場所にも現れなかった。

(後略)

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( 翻訳者:友添日向子 )
( 記事ID:42066 )