エジプト:修復されたクルアーンの写本が展示される (2)
2017年07月18日付 al-Hayat 紙
■修復に6年を費やしたクルアーンの写本がエジプトで展示される(2)
【カイロ:リハーブ・アリワ】
幅61センチ、長さ54センチ、高さ18センチのこの写本は、暗赤色の厚い革表紙がつけられており、表紙の中央には「蜂の巣」のような模様が施されている。ページには紙と羊皮紙が使われている。修復チームの監督、ナグワー・サイイドは、本紙に対し、写本の材質が異なる理由について説明した。「欠落しているページの大部分は羊皮紙でできていて、そのためあるシャイフが紙に手書きをし、ページを補った。その書体は子音字の点で美しく装飾されている。これとは対照的に、ウスマーンの写本は子音字の点が書かれていないクーフィー体で書かれている。」また、200年以上前にページを補った人物は、この写本を製本した人物と同一であると指摘した。羊皮紙のページは、写本が書かれた当初は製本されていなかった。ページを補った人物は、ページの順番をそろえるために、紙を重ね、各ページの最初に、前のページの節の単語を書いていたという。「もしそうでなかったら、ぼろぼろの状態で我々のもとに届いた写本のページを順番に並べることはできなかった。また、彼は子音字の点がないために判別が難しいと思われそうな単語を、いくつか書き直していた。」
この写本とウスマーン・イブン=アッファーンの関係について、ナグワー・サイイドは以下のように述べた。「誰も両者の関係を確かめることはできない。この写本はオスマン帝国時代の版で、当時、各都市に頒布された時にエジプトに持ち込まれたものだという説がある。また、ウスマーン・イブン=アッファーンの時代に書かれた原本の写し、より正確に言えば、ウマイヤ朝時代のアブドゥルマリク・イブン=マルワーン(ヒジュラ暦26年-86年)がエジプトでウスマーンが書いたクルアーンの写本を見つけられずに憤慨し、原本の写しを6部作るよう命令したときのものの一つであるという説もある。後者の説はアメリカ人学者2人によって支持されており、写本の装丁がヒジュラ暦1世紀の終わりにまで遡るものとされている。」
この記事の原文はこちら
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:菅沼実祝 )
( 記事ID:43005 )