ハッキャーリ―でPKKと銃撃戦、8兵士犠牲に
2017年11月02日付 Cumhuriyet 紙


ハッキャーリ県シェムディンリ郡からトルコへの密入国を試みたPKK(クルディスタン労働者党)党員と軍の間で戦闘が発生した。これにより兵士6名とレンジャー隊員2名が殉職し、PKK党員19名が殺害された。

今朝にかけて、トルコへの密入国を試みたPKK党員の集団と治安部隊との間で戦闘が発生した。最初の発表によると、戦闘で兵士6名とレンジャー隊員2名が殉職した。戦闘ではPKK党員19名が殺害された。地域ではヘリコプターの支援を受け、広範囲の作戦が開始された。同地域には霧がかかっており、場所によっては視界が1メートルほどしかないという。

■殉職したレンジャー隊員の遺族が現地に

戦闘で殉職したレンジャー隊員のオスマン・イェシルさんとアラアッティン・テキンさんの遺族らはデレジキにおり、すぐに戦闘のあった地域へ向かった。遺族がそこで静かに待機する中、逃亡したPKKを無力化するために、地域では空軍の支援を受けて作戦が続いているという。

■トルコ国軍の発表「相手は悪天候を利用した」

参謀本部はシェムディンリ郡での戦闘について次のように発表した。

「2017年11月2日木曜日、ハッキャーリ県シェムディンリ郡オルタクラル地方で、分離主義派テロ組織が濃い霧と悪天候を利用して攻撃を企んでいることが突き止められ、戦闘が起きた。これにより6名の英雄たる兵士と2名のレンジャー隊員が犠牲となり、2名の勇敢な戦友が負傷した。その内一人は重傷である。負傷者はすぐに病院に搬送され、治療が続いている。この戦闘では5つの分離主義派テロ組織のメンバーが無力化された。同地域における作戦は続いている。

この攻撃は我々に深い痛みと悲しみを与えた。この戦闘で命を落とした尊い殉職者に神の慈悲があることを、悲しみに暮れている殉職者の遺族とトルコ国軍、偉大なトルコ国民に哀悼の意を表し、これに耐えんことを、そして最後に負傷した英雄らが一刻も早く回復することを祈っている。

トルコ国軍は高貴なトルコ国民から得た力をもってして、テロリストの最後の1人を無力化する日まで、全てのテロ組織との戦いを、不屈の決意をもって継続していく。」

■内務省の声明

内務省から出された声明で、ハッキャーリ県シェムディンリ郡で19名、トゥンジェリ県ナズィミイェ郡カドゥスルトゥ・ドクズ・カヤラル地方で9名、そしてシュルナク県で3名、計31のPKK党員が殺害され、作戦は現在も続いていると発表された。

■殉職者の身元が明らかに

戦闘で殉職したレンジャー隊員は、オスマン・イェシルさんとアラアッティン・テキンさんであることがわかった。殉職者は今後行われる追悼式典の後、トクル村で埋葬されるということだ。

■ブルサに悲報が届く

ハッキャーリ県シェムディンリ郡オルタクラル地方にある境界線付近で、朝にかけて起きたPKK党員との戦闘で殉職した6名の兵士のうち1人は、ブルサ出身の職業軍人、エムレ・カラアスランさん(24)であることが分かった。
攻撃で犠牲になった職業兵士のエムレ・カラアスランさんの悲報が、ブルサ広域市カステル区ヴァニ・メフメト地区のギョクプナル通りにある実家に届いた。カラアスランさんは第34国境警備隊に所属する警備兵であり、9カ月前に職業兵士としてこの任務に就いたという。エムレ・カラアスランさんが元々はエルズルム県トルトゥム郡に籍を置いていることが伝えられた。

■サムスンに悲報が届く

ハッキャーリ県シェムディンリ郡オルタクラル地方でPKK党員との間に発生した戦闘で犠牲になった、軍警察の職業兵士であるエルカン・カラジャさん(28)の故郷、サムスンに住む家族は、痛ましい知らせに涙を流した。
軍警察の職業兵士であるエルカン・カラジャさんは独身で、郡当局から父親のアイハン・カラジャさんに訃報が伝えられた。アイハン・カラジャさんは嘆き悲しみ、殉職者カラジャさんの家にはトルコ国旗が掲げられた。カラジャさんの母親と父親は11年前に離婚しており、妹が1人いるという。

■ゾングルダクに悲報が届く

ハッキャーリ県シェムディンリ郡オルタクラル地方でPKK党員との間に発生した戦闘で犠牲になった、ギョクハン・クラク上級歩兵軍曹(28)の訃報は、ゾングルダク県チャイジュマ郡カラプナルに住む父親に伝えられた。

ギョクハン・クラク上級歩兵軍曹の父親で、金属工のセズギン・クラクさんは、受診のため訪れていたバルティン国立病院で悲報を受けた。クラクさんの戦友が父のセズギン・クラクさんに電話をかけ、彼の息子が亡くなったことを知らせた。その後セズギンさんは、カラプナルメルケズ地区ジュムフリイェト通りにある自宅に戻り、チャイジュマ郡のセルカン・ケチェリ郡知事と郡警察司令官のセルチュク・オゼン少佐がセズギンさん宅を慰問した。2人の子を持つセズギン・クラクさんは、トルコ国旗を掲げた自宅の前で涙を流し、ケチェリ司令官がこれを慰めようとしていた。セズギン・クラクさんは、「息子の友人が電話をくれて、『あなたはどういう関係の人か?』と訊くので、『私は父親だ』と答えた。すると彼は、「我々の兄弟が殉職した」と言った。信じられなかった。『君は何を言っているんだ?』と私は言った。現地では7~8人の犠牲があったようだ。なんと悲しい罪だろうか?なんと忌々しいことか。すべての根源を断ち切ってほしい」と語った。

母親のバフリイェ・クラクさんは、この悲報を受けた後、発作を起こし、救急車でチャイジュマ国立病院へと搬送された。

■「結婚する予定で、夢があった」

殉職者ギョクハン・クラクさんの友人のウウル・カラさんは、こう語った。
「私たちは一緒に上級軍曹に志願した。彼はイスタンブルのトゥズラへ行き、私はアマスヤで教育を受けた。彼は東部で任務を始め、私はテキルダーで任にあたった。志願文書も一緒に準備した。彼が休暇で帰ってくる度に会っていた。つい最近、恋人がいると言っていた。結婚する予定で、夢があった。家を買いたいと言っていた。上級軍曹になる前は、この辺りの結婚披露宴でケマンとサズ(弦楽器の一種)を弾いていた。最後に会った時は、結婚式のために休暇をとると言っていた。結婚披露宴を開くと言っていたが、それは叶わなかった。彼は戻っていき、もう1度会うことはできなかった。殉職したなんて信じられない。ついひと月前、一緒にチャイを飲んだ。私が結婚した時、彼はサズを弾いてくれた。彼が結婚する時は、私が彼を手伝うつもりだった。彼の弟も上級軍曹を選びたがっていたが、父親がそれを許さなかった。『1人がなったら、もう1人はダメだ』と言っていた。ギョクハンが上級軍曹になったので、弟は諦めた。つまり家族が諦めさせた。『1人は私たちの傍に残ってほしい』と言っていた。」

殉職者クラクさんは、ケマンを演奏しているビデオ映像を2013年にSNSのアカウントで公開していた。

■「こんな知らせのために、ドアは開けられない」

ハッキャーリ県シェムディンリ郡という初任地で犠牲になったタイフン・カヴンさんの訃報を届けに来た面々に向かって、タイフンさんの妹は「こんな知らせのためにドアは開けられない」と言い、咽び泣いた。

ハッキャーリ県シェムディンリ郡で密入国を試みていたPKK党員との間で起こった戦闘で殉職したタイフン・カヴンさんの家族には、アドナン・カユク副知事、兵役人事局のハルン・アーチ大尉、郡の家族社会政策局のラマザン・バイカラ局長、殉職者遺族社会福祉協会のムトル・クルチアスラン会長によって訃報が伝えられた。

タイフンさんの妹スルタン・カヴンさんは彼らを家の前で見ると、「私はこんな知らせを受けるならドアを開けられない」と言いながら咽び泣いていた。
殉職者タイフン・カヴンさんの初任地がハッキャーリ県シェムディンリ郡であり、任務開始の後ローンを組んで車を購入していたことが分かった。

■クルチダルオールCHP党首「今日我々は、母親たちの涙で目が覚めた」

CHP(共和人民党)のケマル・クルチダルオール党首は、治安部隊の兵士8名が犠牲となったことに関して、党首個人のTwitterアカウントで以下のようにコメントした。
「新しい1日に、我々は殉職の知らせによって、母親たちの涙によって目が覚めた。シェムディンリで犠牲になった兵士とレンジャー隊員に神の慈悲を、我が国の国民がこれに耐えることを祈っている」

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( 翻訳者:神谷亮平  )
( 記事ID:43693 )