オリーブの枝作戦4日目、二人目の犠牲者
2018年01月22日付 Cumhuriyet 紙


トルコ国軍がアフリーンに向けて始めた「オリーブの枝」作戦の4日目にして、2人の軍人が殉職した。アフリーンにいるクルド人民防衛隊 (YPG)の支配地域から発射された2つのロケットがキリス市中心部と、ハタイのレイハンル区へと落下した。この件では死傷者ともにいなかったと明らかにされた。

トルコ国軍(TSK)が、シリアのアフリーン市で活動する民主統一党(PYG)とクルド人民防衛隊(YPG)に対しておこなっている「オリーブの枝」作戦を開始してから、4日が経った。自由シリア軍(ÖSO)とともにアフリーンへと前進したトルコ国軍は、YPGの陣地を「装甲を破る」砲で攻撃している。オリーブの枝作戦の後背地となるハタイとキリスの国境地域では、作戦が4日目を迎える中、静かな夜を過ごした。アフリーンへの地上作戦を開始した国軍が通過したハタイとキリスの境界付近では、夜通し国内地域からの大砲の音が響いた。アフリーン地域からYPGが昨日発射したロケットは、キリスへと落下したが死傷者は出なかった。

■オリーブの枝作戦で2人目の犠牲者

作戦4日目にして、オウズ・カアン・ウスタ中尉(30)が犠牲となった。アンタリアのある学校で英語の教師をしている妻のサイーデ・ウスチュネル・ウスタさんへ悲しい知らせが届けられた。殉職したウスタ中尉の両親はアンカラに住んでいることが明らかとなった。外務大臣メヴリュト・チャヴシュオール氏は、悲報をツイッターアカウントで以下のように書き込み、共有した。

「私たちの国の存続のため、アフリーンで行われている「オリーブの枝作戦」に参加していた同郷人である歩兵隊中尉オウズ・カアン・ウスタが殉職した。犠牲者の血を地に残さない。テロを根絶するまで私たちの戦いは続くのである。心からご冥福をお祈りする。」

■参謀指令本部から発表

参謀指令本部より、犠牲となったオウズ・カアン・ウスタ中尉に関する発表が行われた。発表内容は以下の通りである。

「オリーブの枝作戦において、2018年1月23日、オメル・ウシャウ北部(シリア)にてクルディスタン労働者党(PKK)/クルディスタン社会連合(KCK)/クルド民主統一党(PYD)-クルド人民防衛隊(YPG)、イスラム国テロ組織の部隊と行われた戦闘で私たちの勇敢な戦友を失った。私たちを深い辛さと悲しみに包んだこの攻撃で命を落とした愛する犠牲者にアッラーからの慈悲を、悲しみに沈んだ遺族へ、トルコ国軍と崇高なトルコ国民にお悔やみを申し上げる。」

■アンカラで埋葬予定

殉職した歩兵隊中尉オウズ・カアン・ウスタの悲しい知らせは、アンタリアのムラトパシャ郡クズルトプラク地区に住む妻のサイデ・ウスチュネル・ウスタさんへ、 保健関係者が同行して伝えられた。セリキ郡にある学校で英語の教師をしているサイデ・ウスチュネル・ウスタさんは、悲しい知らせを聞いた後、体調を崩した。保健関係者らが家で治療したウスタさんは、辛うじて安静化した。犠牲者の家には巨大なトルコ国旗が掲げられ、ムラトパシャ自治体からは家の入口に追悼のテントが設置された。悲報を受け取った義理の母のヒュルヤ・ウスチュネルさんは近親者に支えられ、家へとやって来た。哀歌を歌ったヒュルヤ・ウスチュネルさんは、「愛しい子はあまりにも早く逝ってしまった。少しも一緒にいることができなかった。早すぎた」と涙ながらに語った。犠牲者の実父であるジャンポラト・ウスタさんと義理の父のエムレ・ウスチュネルさんも退役下士官であることが明らかとなった。犠牲者の遺体はアフリーンから故郷のアンカラに送られ、首都での葬儀の後、埋葬される予定であることが明らかにされた。犠牲となったオウズ・カアン・ウスタ中尉の遺体は、霊柩車でオンジュプナル国境から入国し、ガーズィアンテプの法医学チームへと送られた。

■県知事府からの発表

アンタリア県知事府より行われた発表では、歩兵隊中尉オウズ・カアン・ウスタは、カイセリ山岳特殊旅団で任務中に、「オリーブの枝作戦」へ参加したと明らかにし、以下のように述べられた。

「犠牲となったオウズ・カアン・ウスタ中尉は、PKK/KCK/PYD-YPGおよびISのテロ組織分子らとの戦闘で命を落とした。既婚者で2歳半の女の子の父親であったオウズ・カアン・ウスタ中尉の妻は、我が県のセリキ郡で教師をしている。私たちを深い辛さと悲しみに包ん、この攻撃で命を落とした犠牲者に神からの慈悲を、悲しみに沈んだ遺族と近親者たちへ、トルコ国軍と崇高なトルコ国民にお悔やみを申し上げる。」

■犠牲の中尉、4年間アンタリアで任務

アンタリア県知事ミュニル・カラルオール氏、アンタリア共和国主席検事ラマザン・ソルマズ氏、アンタリア広域市長メンデレス・チュレル氏、県警察本部長ジェラル・ウズンカヤ氏、県軍司令官タヒル・サヴラン氏、公正発展党(AKP)県代表ルザ・シュメル氏は、遺族の家へ弔問に訪れた。しばらく家族と面会を行ったカラルオール知事は、アフリーンで続く戦いが非常に困難な状況で行われていると話した。トルコ国軍が力強くこの戦いを行っていると説明したカラルオール知事は、「犠牲者は、4年間アンタリア旅団司令部で任務についていた。去年、ここからカイセリ第一特殊旅団へ転任した。そこからシリアへ作戦参加した。犠牲者の妻はここで働いている。ご家族の意志で、明日アンカラにおいて葬儀が行われる。私たちはご家族をここから見送る。アッラーよ、我が兵に力を授けたまえ」と述べた。

■3人目の犠牲者の知らせ、届く

「オリーブの枝作戦」4日目にして、メフメト・ムラトダウ歩兵上級軍曹が殉職した。既婚者であり、25歳のメフメト・ムラトダウ上級軍曹のカイセリにいる近親者たちは、悲報を軍の関係者から受け取り、涙をにじませた。

「オリーブの枝作戦」において、カイセリ第一特殊旅団下で任務についていたメフメト・ムラトダウ上級軍曹は、アフリーン付近でテロリストらと勃発した戦闘で負傷した。病院へ搬送されたチャヴシュ・ムラトダウ上級軍曹は、医師らの懸命な処置もむなしく、回復せずに命を落とした。ムラトダウ上級軍曹の悲報は、カイセリの中心地コジャスィナン郡に属するボザントゥ大通りのエヴレンアパートに住む6カ月前に結婚したばかりの妻ビルギュル・ムラトダウさんへ、軍関係者によって保健チーム付き添いのもと伝えられた。悲しい知らせを受け取ったビルギュル・ムラトダウさんは、涙をこぼした。犠牲者の自宅があるアパートには、トルコ国旗が掲げられた。

悲報は、ベシュパルマク地区に住む母のスィベル・ムラトダウさんへもまた軍関係者によって、保健チーム付き添いのもと伝えられた。母のスィベル・ムラトダウさんは、息子の殉職の知らせを聞いてパニックを起こした。犠牲者の母は、112チームの応急処置のあと救急車で、カイセリ教育研究病院へと搬送された。

犠牲となったメフメト・ムラトダウ上級軍曹のボザントゥ大通りエヴレンアパート6階の自宅へ第一特殊旅団のグループが訪れた。カイセリのムフティー、シャーヒン・ギュヴェン氏も犠牲者の家を訪れ、祈りを捧げた。

犠牲となったメフメト・ムラトダウ上級軍曹が、ヨズガトのボアズルヤン地区に登録しており、彼の父親は彼が幼い頃亡くなっていたことが明らかとなった。

■トルコ国軍からの発表

トルコ国軍(TSK)も犠牲者に関する発表を行った。内容は以下の通りである。

「犠牲となったメフメト・ムラトダー上級軍曹(2015-3591)は、1993年11月20日にヨズガト県ボアズルヤン郡で生まれた。 2015年7月21日から11月8日の間、山岳特殊部隊学校とEM山岳特殊部隊学校第2教練、大隊第二教練部隊司令部のもとで訓練を完了させた後、2015年11月9日、第一特殊部隊旅団第2司令部第1特殊連隊のもと、攻撃専門手に任命された。犠牲となったメフメト・ムラトダウ上級軍曹(2015-3591)は、既婚者であり、子どもはいなかった。」

■装甲破壊砲を使用

ハッサの国境上に配備された戦車は、YPGの拠点を装甲破壊砲で攻撃した。多くの戦車が、砲弾、燃料、軍需品の補給のため引き返した。国境警備所に近い場所で、朝方に配備されたM60T戦車の傍らには、多くの「装甲破壊砲」弾が見られた。地域では腕に黄色の腕章をした自由シリア軍付属の兵力もいた。キリスとハタイの両方面からアフリーンに向かって輸送が続いている。

■オンジュプナル国境から「盾の掘削」攻撃

キリスのシリア国境にあるオンジュプナル税関からアフリーンへ「装甲破壊」砲撃が行われた。安全警戒が取られる中、シリアへの砲撃は、アフリーン内部のYPGのバリケートの破壊に使用される予定であると明らかにされた。

■キリスとレイハンルにロケット砲

アフリーンのYPGの支配下にある地域から発射されたロケットが、ハタイ県のレイハンル郡へと落下した。この事件での死傷者はいなかった。

PYD支配下の地域から発射されたロケットも、キリスのミュジャーヒトレル地区にある3階建ての家のテラス階へと落下した。ロケットの落下で大きなパニックになった一方で、最初の情報によれば事故現場で死傷者はでなかったと伝えられた。ロケットが命中した家とその家付近に駐車してあった車両が被害を受けた。地域へは、救急隊、捜索救援隊、警察のチームが到着した。

■トルコ兵1名負傷

作戦4日目に、アアザーズ郊外で、足に軍糧が落下したトルコ兵1名が軽傷を負った。負傷した兵隊は、救急車でオンジュプナル国境門からキリスへ搬送され、国立病院で足の治療を受けた。

■輸送続く

キリスから作戦が続いているシリアのアフリーン地域へ、車両と人員の輸送が続いている。オンジュプナル国境門からまたも、装甲付きかつアーム付きの作業車と人員輸送車がアアザーズへと送られた。

■メルスィンのシリア人たち、作戦への参加を希望

国の内戦から逃げ、メルスィンへと落ち着いた何百人という数のシリア人たちは、TSKのアフリーン作戦にボランティアとして参加するため、中心地のアクデニズ郡にある軍事務所へ申請をした。軍事務所の前でトルコとシリアの国旗を掲げ、「アッラーは偉大なり」と叫んだシリア人たちは、「我々も軍へ連れていってください、良いときも悪いときも常に共に」とアラビア語とトルコ語のスローガンを掲げた。

軍支部へ支援グループとともにやってきたシリア人の部族高等委員会ラフ・ウクラ・ラジョ委員長はトルコ国家と国民に対して、彼らに対して示された厚いもてなしに感謝の意を述べた。部族のリーダーとして、トルコ軍がアフリーンで行っている作戦を支援するとしたラジョ氏は、自由シリア軍とともに地域のテロリストらを一掃する、と話した。自身の子どもたちもこの作戦を支援するため、前線にいることを強調したラジョ氏は、全てのシリア国民にTSKのアフリーン作戦 を支援するように呼びかけた。

■臨時特別安全保護地域

ハタイ県のクルクハン郡のシリア国境が、「臨時特別安全保護地域」とされた。この地域では記者が撮影、取材を行うことが禁止されていると明らかにしたクルクハン郡長府は、発表を以下のようにおこなった。

「県知事府が、2018年1月23日、県事務局第3862号の諸令をもって我々の郡内の国境付近にあるザフェル・トカ(カレテペ村の土地、道路)、バイラクタル(インジルリ村の土地、道路)、ハレプリ(ペリシャン村道路)およびスジュ(スジュ村道路)の地域で、2018年1月24日水曜日8時から2月7日水曜日8時までという期間で(15日間)特別安全保護地域として宣言すると決定し、2018年1月24日から2月7日の間、特別安全保護地域とされた場所に住んでいる住民を除き、報道関係者の撮影、取材及び放送を行うこと、あらゆる車両及び人間の立ち入りは、警備関係者によって与えられる許可がある場合を除き、禁止された。」
一方でこの決定は、国境付近の地域にあるモスクからアナウンスされ、住民へと知らされた。また、アナウンスでは国民も国境付近に立ち入らないこと、食糧の救助は認められないと伝えられた。

■メルスィンで5人拘束

メル新は県警本部、テロ対策支部局(TEM)チームが、「オリーブの枝作戦」に関してソーシャルメディアで事実ではない情報の共有およびテロ組織のプロパガンダを行う者に対して調査を開始させた。チームによって様々な住所に対し行われた捜査で、ソーシャルメディア上で「テロプロパガンダ」を行ったとされる5人が拘束された。

■犠牲となったトルコ電力株式会社(TEDAŞ)職員埋葬

ハタイのクルクハン郡のシリア国境にあるカレテペ地区にテントに対し行われた攻撃で命を落としたTEDAŞ職員で30歳のシャーヒン・エリタシュの遺体は、クルクハン国立病院の霊安室から運ばれ、クルトルソーウクス地区の父親の家へと到着し、生前の事ごとが免じられた。その後、クルクハン集団墓地へと運ばれた犠牲者のためにここで祈りが捧げられた。ハタイのムフティー、ハムディ・カヴィッリオールが行った埋葬の祈りへは、ハタイ県知事エルダル・アタ、AKPハタイ国会議員フェヴズィ・シャンヴェルディ、アデム・イェシルダル、メフメト・オンチュルク、民族主義者行動党(MHP)ハタイ選出国会議員のネジメッティン・アフラズオール、共和人民党(CHP)ハタイ選出国会議員のセルカン・トパルや、公共機関の長など多くの人が参加した。祈りのあと、2児の父であるシャーヒン・エリタシュの遺体は、クルクハン・アスリ墓地に埋葬された。犠牲者の妻・セヴダさんと母親のエミネさん、父親のボスタン・エリタシュさんは儀式中ずっと涙を抑えられなかった。

■シャンルウルファ県で8人にアフリーン拘束

シャンルウルファ県では、ソーシャルメディアアカウントを通して「オリーブの枝作戦」に関して行ったシェアによりテロ組織のプロパガンダを行ったとして、8人が警察により拘束された。共和国主席検察官によって「オリーブの枝作戦」に関してソーシャルメディアアカウントを通じてシェアを行った者についての捜査が始められた。テロ対策支部チームは、市街中心部で装甲車両を用いて行った作戦で8人を拘束した。

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( 翻訳者:大畠梨紗子 )
( 記事ID:44212 )