グループ・ヨルムのギュルテキン、釈放
2018年03月01日付 Cumhuriyet 紙
グループ・ヨルムのメンバー、オズギュル・ギュルテキンを含む5人が釈放された。
グループ・ヨルムのメンバー、オズギュル・ギュルテキンを含む6人について、「テロ組織メンバー」の疑いで裁判が続けられてきた。オンライン映像通信(SEGBİS)を通し、匿名の証人は2012年の労働運動で18歳時のネスリハン・アルバイラク被告を目撃したと証言した。しかしアルバイラクは、自身は当時12歳で小学校に通っていたと述べ、その他の匿名証人は、質問にはすべて「覚えていない」と答えた。オズギュル・ギュルテキンと共に5人が釈放された。
イスタンブル第36重犯罪裁判所での審理に拘束中のネスリハン・アルバイラク、メラル・ユルドゥルム両被告が出廷し、オズギュル・ギュルテキン、タイラン・ギュルテキン両被告はオンライン映像通信を通して出廷した。非拘束のアイフェル・リュズギャル被告が出廷する一方、同じく拘束を受けていないアリ・スィナン・チャーラル被告については代理人のベラク・チャーラル弁護士が出廷した。オーストリア領事と被告の親族が審理を見守った。
■「証人の話には信憑性がない」
人物確認を受けた後、オズギュル・ギュルテキン被告が答弁し、「証人は、最初は私を知らなかったと言い、5分後には知っていると言う。証人の説明がどれだけ信憑性のないものかは明らかだ。そのせいで5か月にもわたり私は拘束されている。このような状況は、我が国には正義が無いということの具体例だ。証拠などない。あなた方裁判所が、こうした不正義に終止符を打つよう望んでいる。私が拘束されているのは、不正義だ。直接対面する原則に則るべきだった。この匿名の証人の発言は虚偽だ。私の釈放を求める」と語った。
■「6年も前の話がなぜ今頃になって」
メラル・ユルドゥルム被告は自身をフリーの新聞記者だと述べ、イディル文化センターでグループ・ヨルムのサインの日に参加したと語った。ユルドゥルムは、「その日は取材をしに向かった。もしそこにさえ居なかったら、今日5か月以上も拘束されることは無かっただろう。答弁にあたっては非常に難しいものがあった。(そもそも)何によって告訴されたのかが分からないからだ。私は新聞記者だ。ニ記事を書いて代理店やニュースサイトに送り、気に入られれば収入を得る。(だが)5ヶ月拘束されている。6年前にさかのぼる証言もあった。今まで新聞記者であるがために何度も拘束されたが、なぜ今まこの件がとりあげられなかったのか」と語った。
■「警官は「お前は娼館のような臭いだ」と言った」
ネスリハン・アルバイラク被告は、「あるインターネットカフェへトイレを借りに入ったが使用中だった。(そこで)イディル文化センターの下にあるトイレに入った。手を洗っていたところ、警官が扉を突き破ってきた。人々を床に這わせて拷問しているのを見た。タイラン・ギュルテキンをひどく殴り続けており、私が遮ろうとすると、警官は私のことも捕らえた。捕まっている間は、自分は拷問担当だというハンデと名乗る婦人警官が私の髪を掴んで床に叩きつけ、馬乗りになって平手打ちをしてきた。別の警官は「お前は娼館のような臭いがするな」と言った。私はトイレにっただけだ。釈放を求めます」と語った。アイフェル・リュズギャル被告は「文書にした弁論を繰り返します」と語った。
■「あなたたちは証人を操っている」
メラル・ユルドゥルムについて匿名の証人がインターネット映像通信を介して証言した。匿名の証人は、「メラルを様々なイベントで見かけた。イベントに参加していたので「人民戦線」の組織内で活動していたのだろうと思っている。2、3度イベントに参加していたが、横断幕を掲げた際には私は見かけなかった」と語った。他の証人は、ネスリハン・アルバイラクを2012年のある労働運動で知ったと語った。アルバイラクは、2012年当時は12歳で、その年齢ではどのような運動にも参加など出来ないと語った。タイラン・ギュルテキン被告は、「裁判官、あなたが名前を読み上げた後になって、証人は数人の名前を知っていると言いだした。匿名の証人が話したことには証拠がない」と語った。弁護士のチーデム・アクブルトは裁判官に向かって「あなた方は匿名の証人を誘導している」と述べた。検察官らは、拘束を継続する方向で主張したが、裁判官らはタイラン・ギュルテキン以外の被告全員を釈放し、次回の審理を5月12日に延期した。
■拘束されオーストリアに送還
拘束中のオズギュル・ギュルテキンの父、ギョクメン・ギュルテキン氏は審理を傍聴するためオーストリアからトルコに来たものの、空港で捕えられ一時拘束された後、オーストリアに送還された。ギュルテキン氏は息子の拘束中に何度もトルコに来ており、その際には何も問題はなかったと言い、「これは完全に政治的、意図的な決定だ。調書には『トルコへの入国は危険を伴う』と書かれている。『具体的な証拠はあるのか?』と聞いたら、『そのように命を受けており、我々が出来ること』はないと言われた。これは完全に意図的で政治的なやり方だ。そうしたやり方は私だけに向けられたものではない。広い意味ではクルド人やアレヴィー派、反対派といった人々に向けられた扱いだ」
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( 翻訳者:貝瀬雅典 )
( 記事ID:44437 )