政府の上層部で行われたアフリーン(情勢)の検討において、軍事作戦直前におきた事件に関し興味深い詳細が明らかになった。
3月18日にアフリーンへ侵攻する3日前、アンカラで活発な動きがあった。3月15日水曜日深夜22時30分にアフリーンのテロリストのメンバーをトルコ軍が爆撃する予定だった。
■市民の犠牲者を出さないために
トルコ国軍のこの決定は、テロリストの首謀者らが市民の車列の間に私服でまざり、街を脱出し始めたというニュースを受けて一時見合わされた。多くの市民の犠牲を避けるため軍事行動は実施されなかった。少し経って街に残っている土着のテロリスト達もまた、首謀者のすぐ後に続いてアフリーンから逃走したことがわかった。テロ組織YGPにおいてこのように素早い態度の変化は、アメリカと行われた協議のあとに、とられたとの情報が共有された。
■包囲は成功した
トルコ国軍が、限られた地域だけで軍を配備したのではなく、アフリーンの全地域を包囲することが、この結果に影響したとされている。アフリーン内のテロリストグループがいくつかの地域を守るために散らばらなければならず、この理由から管理体制がぐらついたという情報が明らかになった。この作戦によって軍団で行動できなかったテロリストグループが、その対応策を、アフリーンの外へ逃亡することに見出したと、言われている。
トルコのこれから先の軍事作戦は「減速」していくことが決定されている。アフリーンの戦後処理と他の下準備によって、他の町(への侵攻)については、即断はされない。マンビジュまたはユーフラテス川の東岸に関係する軍事作戦はアメリカの新しい外相と行われる会談のあとトップニュースとなるだろう。
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( 翻訳者:黒川なつみ )
( 記事ID:44539 )