新高校入試制度、2か月以内に発表
2018年09月17日付 Hurriyet 紙


ズィヤ・セルチュク国民教育相は、高校入試制度の新たな試みを行っていることを強調し、新しい制度を2か月以内に明らかにすると発表した。セルチュク大臣は、共学廃止の噂を否定し、12月末に2万人の教師の任命を行うこと、さらに今後のビジョンを10月15日に明らかにすることを述べた。

昨日、学校で「始業ベル」が鳴った。約1,800万人の生徒が座席に着いた。トルコ大国民議会(TBMM)のビナリ・ユルドゥルム議長は、イスタンブル県チェクメキョイで妻子が設立した「セミハ・ユルドゥルム先生小学校」の2018-2019学年度の始業式に、ズィヤ・セルチュク教育相と共に出席した。式典後、セルチュク大臣は、TRTニュースの生放送で重要なメッセージを発信した。セルチュク大臣の発表は以下の通りだ。

多くの人が2か月以上動きを待っていますが、私も一人の科学者であり、データを見ずに計画を立てることはない。10月15日までもう少し我慢してください。何を計画し、何を行おうとしているのか、より明確に説明します。拙速な動きは控えたい。我々は高等教育についても重要な整備を計画しています。」

■新しい入学制度を準備中

「私が教育相に就任したのは7月だが、高校入試に関する手引書が発行されたのは6月だった。1文字でも変更があれば、試験は法的に無効となる。最初の配置の結果として、9万人の生徒が進路を失った。土曜日にまだ進路の決まらない3千人の生徒の配属のために通知書を発行した。新しい進路に関して実現したい制度を、2か月以内に発表する予定である。これによって、全員の進路が速やかに決まるだろう。全学校の地理情報システム(CBS)における場所を抽出した。教室がいくつあるのか、具体的に示せるだろう。制度は子どもの、家族のためになるものに変えることができる。生徒は今後、公式を覚える必要はない。試験のときは、問題用紙に公式を記すようにする。職業教育にも手を入れなければならない。ここが改善され、子供たちが満足できれば、試験の需要は低下するだろう。試験のタイプは変更しないが、ただ名称を変更しただけで問題解決とするような真似はしない。3年間のプログラムを終えた後、このことが社会においてはっきりと認識されるだろう。

■私塾は終わりに向かっている

「カリキュラムに関しては、チームとして短期間で変更するという考えはない。カリキュラムは経験の浅い教師に必要なもので、熟練者向けではない。何事も拙速にするべきではない。変更は行われるが、その2年前に、教師らの準備が整っていなければならない。

私塾とは、当然ながらひとつの連鎖の中にあり、必要があるから存在する。この原因を失くさなければならない。2,540校近くの私塾がある。この原因をなくし、他の手段によって一掃するための試みを行っており、終わりに近づいた。いくつかヒントを言うと、子供たちが私塾で受けていた教育が何であろうと、いくつもの環境が―デジタル環境、学校、TRTなどが考えられる―そのリソースを調達し、私塾の果たしていた役割を担うのに役立つだろう。
これに関して7つのパラメーターの対策パッケージがある。遅くとも3か月以内に世論に共有し、スケジュールを説明したい。」

■共学

「共学廃止という案は我々の議題に全く存在しない。一人の市民が、MEB(トルコ共和国国民教育省)の規則を裁判所に訴えた。MEBにも過りがあったのだ、今後も起こり得る。裁判所は、『あなたたちは職業高等学校のような機関について話している。これらについて話すときに、これらを共学と定義するのは間違っている。憲法にある文言を下地とする規則を変更してはならない』とMEBを指導している。私たちは1か月以内に裁判所の命令を実行しなければならない。官僚も罷免した。野党支持派がこれを受けて事を荒立てている。私は理解しようと努めている。憲法が定めるように、(共学教育が行われるという)第15条は継続している。1974年以降は、いくつかの状況で、女子と男子が離れ離れで教育を受けることができるという条項もある。この表現はそこで止まっており、再び停止する。

デュアル教育は削除するつもりだ。3年間のビジョンの基本パラメーターのうちのひとつがこれである。トルコではデュアル教育を俎上にのせないという目標がある。」

■任用は12月

「私は教師諸君のことも分かっている。彼らの期待するところがあるだろう。12月末に、2万人の教師を任用する。今は議会の開会を待っているところだ。契約教師の任用期間についても検討する。議会が開会すれば明確になるだろう。」

■清潔な学校のためにあらゆる取り組みを始める

TBMM(トルコ大国民議会)のビナリ・ユルドゥルム議長は、新しい教育年間が始まった学校で、国民と生徒たちへ呼びかけ、以下のように述べた。
「国民、そして実業家は、学校、病院、橋、泉と、できる限りのものを建設するといい。この世の資産はこの世でしか使えないのだから。愛すべき子供たちは、学校を愛し、周りを常に清潔に保つように。私は学校へ呼びかけよう、清潔な学校のためにあらゆる取り組みを始めようと。私たちの教室、廊下、校庭の周りをぴかぴかにしよう。教育のためにインフラ面ではほとんどすべてのことが行われた。教育は、私たちの国民的問題だ。16年間で600億リラの投資が行われた。教育ほど投資価値の高いものはない。もはや誰も子供の成長について、「私に何の関係があるんだ」と言える状況ではない。なぜなら未来は教育にあるからだ。」

■面倒事には関わらない生徒だった

「私は面倒事を好まず、真面目に勉強し授業に取り組む生徒だった。成績は中の上で、悪くなかった。表彰状や賞状をもらうこともあったが、不可をとることもあった。成績表に不可のない生徒は味気のない生徒だ。不可を取れば、それを修正すれば良い、それから勉強を続ける。不可を取ると、新たな意欲が生まれる。私は中学校の最初の年に不可を取ったが、その後は全くなかった。他の家庭でもそうであるように、私の家族も、『すべて買い揃えて学校へ送り出しているのに、お前は学校へ通っては不可を取ってくる。もう一度不可を取ったら、もう学校へはやらないからね』と言っていた。でも結局はまた学校へ送り出してくれた、どうしようもないからね。」

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( 翻訳者:岩井美咲 )
( 記事ID:45394 )