アクンジュ裁判「F16パイロットになるにはギュレン派に入るしかなかった」
2018年12月04日付 Cumhuriyet 紙
ギュレン派の2016年7月15日のクーデタ未遂におけるアクンジュ空軍基地での活動に関しての裁判で、証言者として証言を行う退役軍人アイハン・Ç.氏は、「近年F-16のパイロットになるにはギュレン派にならなければならなかった。私も例外ではない。軍学校卒業後はギュレン派から離れたので私はF-16のパイロットにはなれなかった。」と話した。
フェトフッラー派テロ組織(FETÖ)が2016年7月15日のクーデタ未遂で司令センターとして使用したアクンジュ空軍基地における活動に関する被告人474人の裁判が続けられている。
第4重罪裁判所によってスィンジャン刑務所構内にあるホールで行われる裁判では、逮捕中の者も含めた被告人とその弁護士たちが出廷した。
証言を行うアイハン・Ç.氏は、高校時代にギュレン派と出会い、軍学校を卒業した2009年までは組織とつながりを続けていたと話した。
軍学校を卒業する前、学校の指揮系統は完全にギュレン派の支配下にあったと話すアイハン・Ç.氏は、当時学校で知り合った、トルコ国民議会を爆撃したパイロット、ヒュスニュ・バルクチュと前パイロット、エネス・タシュタン大尉もギュレン派であると信じられていたと話した。
証言者アイハン・Ç.氏は、「ヒュスニュ・バルクチュもギュレン派だという印象を抱いた。特に最終学年では幹部委員会に選出される側そして選出する側ともに完全にギュレン派であると考えていた。幹部に選ばれたもののうちの一人が私だ。ギュレン派のメンバーであると考えていたので軍学校における指揮官たちを信用していなかった。エネス・タシュタン大尉もF−16のパイロットだ。近年F-16のパイロットになるにはギュレン派にならなければならなかった。私も例外ではない。軍学校卒業後はギュレン派から離れたので私はF-16のパイロットにはなれなかった。」と話した。
■「指揮官たちはギュレン派が選び配置したであろう人々であった。」
なぜギュレン派を離れたのかと聞かれたアイハン・Ç.氏は、「軍学校は私の時代、学生たちに不当な仕打ちを行い、彼らが不必要な罰を受け始めたのに気がついた。軍学校がギュレン派の手に落ちたのだと考えていた。」と話した。
「軍学校の指揮官たちはギュレン派が選び配置したであろう人々であった。」とアイハン・Ç.氏は表現する。そしてギュレン派に傾倒しているという理由でパイロットに選ばれた人々が、軍大学に合格を保障され、参謀になる道が開かれるとも話した。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:西山みなみ )
( 記事ID:45851 )