ブルサで逮捕のIS地域責任者、自供
2019年03月24日付 Cumhuriyet 紙


ブルサで逮捕・拘束されたテロ組織ISのシリアのアレッポ・デリゾール地域責任者、イブラヒム・タヘン司令官(27)は、共和国検察にテロ組織のことを説明した。タヘンは有効改悛法の適用(による減刑)を望んでおり、共和国検察は、「武装テロ組織に参加した罪による懲役10年または第3713号テロ対策法第5条による終身刑を要求し、裁判を起こした。

ブルサ警察局テロ対策(TEM)科のチームによって、2019年2月27日に行われた作戦で、ブルサ中心部のユルドゥルム郡のとある建物地階で暮らしていた、テロ組織ISのメンバーでシリア国籍のイブラヒム・タヘンが拘束された。イブラヒム・タヘンは2019年3月4日に裁判所に送られ、逮捕されてブルサHタイプ刑務所に収監された。

■「拳銃2丁とカラシニコフを持ってうろついていた」

共和国検察によって作成された訴状によると、イブラヒム・タヘンは、家族のこととISの活動について説明した。父親は二度結婚し、兄弟が16人おり、10万人からなるナーイム部族の一員であるという。タヘンは、トルコに数回密入国を行ったことを明らかにし、「2014年ラマダン月にISに参加した。拳銃2丁とカラシニコフ銃を装備した。兄弟が16人いるため、何人かは組織の中で活動していた。さらに、おじのアブドゥッラー・タヘンはラッカ・アレッポ間にあるベディイェ地域で2万5,000人が暮らす場所の責任者で、他にも同様に守備の任に就いている者が2人、司令官が3人いたが、アル・バーブでの飛行機爆撃の結果命を落とした」と述べた。

■「父が7,000ドルを支払い刑務所から釈放された」

タヘンは、IS組織内で武装訓練を受け、2014年にISの市民に向けた攻撃に参加したが、自分は市民に発砲せず持っていた武器を地面に埋めたと延べ、「市民に発砲しなかったことで組織は私を刑務所に入れた。父が7,000ドルを支払って私を刑務所から釈放させた。このときISは、私のいとこ9人を殺害した。おじは、なんとしてでもトルコに行くべきだと、そうでなければ私も殺されるだろうと言った」と述べた。

■「ISは給与を支払っていた」

タヘンは、これを受けて再びISに参加し、組織は給与として月に1人あたり50ドル、妻と子供にも35ドルずつを与えていたと述べ、次のように説明した。

「コバーニ事件が起こった。PKKとの衝突に入った。我々は多くのPKKを殺し、コバーニに向かう道中でスレイマン・シャー廟に到着した。周辺にはトルコ兵がいた。両者の間には150mの距離があった。廟がどのグループによって包囲されたかは見なかった。その後、我々の元に届いたISの活動を解説する新聞から、スレイマン・シャー廟が移送されることを知った。我々のいた地点には井戸があった。そこにいる間に、ロシア、イラン、シリアの兵士たちが我々を攻撃した。殺した兵士の腕の国旗から、どの国の兵士かわかった。」

■「シリア軍と戦った」

ブルサ県共和国検察は、武装テロ組織に参加した罪で懲役10年、または第3713号テロ対策法第5条による終身刑を要求し、8ページからなる訴状を用意した。

弁論では、ISに関する多くの情報を述べたイブラヒム・タヘンのブルサで暮らす親戚の証言も取られた。タヘンは、ISに3年参加し、組織と戦争に行ったこと、普通の兵卒だったこと、デリゾール地域とハマー地域にいたこと、最も多く戦った相手はシリア軍だったことを述べ、2017年10月にトルコに入国したことを、以下のように説明した。

「アフリンから密輸業者に500ドルを支払い、アンタキヤに来た。1ヶ月後、妻も来た。その後、親戚が多く住むブルサに来た。アラーッディン・タヘン、アブドゥッラティフ・タヘン、ファトマ・イッゼッティン・タヘンのところに滞在し始めた。仕事を見つけ、働き始めた。彼らは5年間ブルサで暮らしている。私はコーヒー販売を行っていた。警察が来て私を拘束した。知っていることはなんでも説明したため、有効改悛法の適用を望んでいる」と述べた。

イブラヒム・タヘンは、来月、ブルサ重罪裁判所に出廷する。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:46487 )