ナショナリズムの高揚を杞憂せねばならない: シリアの子供達の行く末
2020年01月06日付 Cumhuriyet 紙
トルコ・ドイツ大学の移民と適応研究センター長ムラト・エルドアン教授は、トルコにはシリア難民を含む430万人の難民が存在すると強調した。エルドアン教授は、現在行っているシリア難民のバロメーター調査において、政党を基にしてシリア難民への態度を、「シリア難民を誰が身近に感じ、誰が距離を置いているか」を理解しようと努めている。まずは全員が距離を置いている」という結果が出たと述べた。
トルコで就学するシリア難民の子供の数は65万人以上であり、40万人から50万人の子供が学校に通っておらず、この子供たちがトラウマを抱えた子供たちであり、戦火を逃れてきたと強調したエルドアン教授は、「ここで差別を受けたと彼らは述べている。一方で、小さいころから働いていて学校へ行けない子供もいる。こういった子供たちが、将来の危険を抱えていないと考えるのは誤りである。今から対策を取らず、この問題で我々が適応と呼ぶ働きかけを行わなかった場合、将来、限界を迎えるだろう」と述べた。本来、トルコが現在および将来についてより議論するべき問題は、シリア以外の難民および不法移民であると強調したエルドアン教授は、「トルコおけるシリア難民の大部分は、安定している。彼らに関する社会的な意味でも、行政的な意味でも深刻な問題はない。本来の問題は、シリア以外のアフガニスタン、パキスタン、イラクなどの難民である。彼らの行く末はより深刻である」と述べた。
トルコでこれほど失業がある中、トルコが中短期的にシリア難民に対して文化的かつ医療的保障をつけて、人として尊厳のある雇用を創出することは夢幻であると述べるムラト・エルドアン教授とトルコにおけるシリア難民問題について話した。
ートルコにおけるシリア難民の状況を説明してもらえるか。どのくらいトルコにいるのか。
シリア難民は、2011年4月29日にトルコに流入し始めた。その際にトルコで社会における難民数(国際的な保護下に置かれた人)は、5万8千人だった。 現在は、この数が400万人を超えている。トルコでシリア難民の数は約380万人である。シリア難民の内およそ10万人は、トルコにおける居住許可を受けて生活している。約11万人は、トルコ国籍を取得している。トルコでのシリア難民の数はもはや明らかである。彼らがどこで暮らしており、彼らの年齢、子供が通学しているかというのは明らかである。
本来、現在あるいは将来について私たちがより議論するべき問題は、シリア以外の不法移民と難民についてである。彼らは驚くほどトルコへ流入している。トルコでのシリア難民は極めて安定している。彼らに関し社会的な意味でも行政的な意味でも深刻な問題はない。本来の問題は、シリア以外のアフガニスタン、パキスタン、イラクと言った難民である。彼らの行く末はより深刻である。
統制がきかず、登録もないという重要な問題は、社会を不安に陥れている。登録がないことは、国と社会にとっても本人にとっても危険である。例えば、あなたがアフガニスタン出身者として、登録がない。トルコで誰かがあなたを殺し、どこかに埋めた時、周囲の誰も知ることすらできない。深刻な不法移民問題もある。国が 時々「不法移民」といって対策を取るといった問題である。これも簡単なことではない。内務省の発表によると、2019年だけで拘束された不法移民の数は、42万人を超えた。つまり、毎日1500人がトルコに入国したことになる。昨年この数字は28万人であった。難民について、ここ5、6年に起こった問題は次のことを示している。トルコで難民となるのは、悪いことではない。昔は難民たちがどこかへ行こうと言って、トルコを通り道と考えていた。現在は目標となっている。
昔はトルコの難民の数、調査、登録は、警察の外国人課と国連によって行われていた。その後、移民局が設立され、その役所が登録を行っている。昔トルコにやってきた難民あるいは不法移民は捕らえられると国連[関連の機関]に連れて行かれた。私は難民であり、本国で不当な扱いを受けている、と当人が語ると、彼らを登録して、本当の難民である場合、第三国へ送還してきた。もし、難民ではなく、二次的な保護の必要がないと判明すると、トルコを出国することが求められた。しかし、この手続きには長い時間を要した。しかし、現在、アフガニスタン難民は、どのような理由であっても、トルコに入国後、移民局を訪れて私を登録してほしいと簡単には言わない。トルコも当然ながら入国者の中から難民として要件を満たすものを選別し、地位を与えようと努めている。だが、手続きはより短縮化し、皆が経済的な移民で、不法移民と判明する。これも入国者達が登録を逃れることに影響している。この問題は皆にとって危険を増している。
近年、トルコに入国し、入国が不法なルートである、あるいは、入国が不法でなくともビザ期限切れとなり不法滞在となる人々の数は100万人を超えた。この中にはモルドヴァから来たお手伝いも、ソマリアからヨーロッパへ渡ろうとする者も、トルコに働きに来た者もいる。もちろん本当の意味での難民もいる。シリア難民の到来と共にトルコで国際的な保護の申請をしている者、その要件を満たす者の数は430万人を超えた。この数は2011年には5万8千人であった。これはトルコ史上類を見ない事態である。第二次世界大戦時でもこのような数はいなかった。
■誰も危機を予想していない
ートルコの為政者もシリア人が一年後には本国に戻るものと見ていて、今のようになるのを予想できなかったのか。
この問題は、短期間滞在して戻るものとの論理で構築された。いずれにせよ、シリア人は、暫くしたら戻る、シリア政府が倒れれば、ここには止まらない、だからこの問題がこれほど危機的なものになるとは誰も予想しなかった。このことを難民当事者も世界も予想しなかった。移民局の設立時、つまり2014年にシリア人の数は100万人を越えた。その後、この問題を統べることは容易ではなかった。ここでの問題は、基本的に政治的な点でこの問題に対する見解が異なっていることに起因している。視点をシリア難民ではなく、シリア情勢に据えれば、ことは困難になったが、官僚は仕事を果たし、公共機関もそうだった。今日まで僅かな問題しか生じなかったとすれば、それは社会の相互扶助や、官僚達が仕事を果たしたためである。
■政治家達のこの問題に対する目的は何なのか。政権は票田という目で見ているのか
ー2014年に『トルコのシリア人:社会的受容と適応』というご著書を執筆された際、シリア人はトルコに定着する方向に向かっていると言われました。もし定着するなら、国籍の問題も議論する必要があります。
トルコで暮らすシリア人は9年間の間、トルコで一時的に保護を受ける立場にある。国籍の問題で決定を下す必要がある、しかし目下、どのような形でトルコ国籍が付与され、誰に与え、いかなる基準なのか、誰も知らない。しかし国籍取得者が、公正発展党(AKP)に投票するとの見解には組しない。国籍を付与された11万人のシリア人のうち6万人が有権者で、AKPや共和人民党(CHP)に投票したとしても、大きな影響を及ぼすものではないし、10万人以上の自党支持者を失うことになる。
例えば、皆がヨーロッパが最も良いもの、教育を受けたもの連れて行った、自分達には悪いのが残った[と考えている]。もちろん、トルコに滞在する者は教育水準がとても低い。しかしこのことでドイツ、フランスはいいのを連れて行ったと考えるのは、私には変に思える。ほぼ万民が飛行機で移動しなかった。皆が海に出て、死に向かった。2015年にトルコには4500人のシリア出身の医者がいて、博士号取得者もいた。今は1000人でさえ止まっていない。こうした人々がここに止まるには、彼らをここに止める何かをしなければならない。この点でも国籍付与以外の選択肢はない。ここでの問題は、選択基準とその透明性である。さらに選択肢を生み出すことである。
■性質として永続性
ートルコ社会はシリア人あるいは他の難民がトルコに止まり、共通の未来を築くとの考えに慣れ親しんだのか、またその準備があるのか。
2014年から今まで様々なフォーマットで進められている「シリア人バロメーター」調査で最も重要な問題は、以下のことである。来た場所であらゆる所が戦場という残忍な状況が生じている。死から逃れて来た人物がどうして戻ることを考えよう。1960年代にトルコ人はドイツに一年ということで行った。60年そこにいる。戻るべき麗しの祖国があるにも拘らず、戻れなかった。移民の性質として永続性がある。例えば今、シリアでの戦争は完全に終了した言えば、さあ家に戻れと言えば、何処に行くというのか。家もなく、学校もなく、病院もなく、電気もなくて、人々は行かない。今までトルコで生まれたシリアの赤ちゃんは、52万人を超えた。一日平均で465人の赤ちゃんが生まれている。65万人のシリアの子供が就学している。トルコにいるシリア人の98%以上が収容施設の外で暮らしている。働いている。つまり私たちと共に暮らしている。このことはここでの暮らしを日常化する簡単な指標である。
ー戦争が終了し、状況が改善すれば、すべてのシリア人は帰国するでしょうか。
こうしたことを期待するのは夢幻である。私は2014年にトルコのシリア人の70%はここに止まると言い続けた。今でも少なくとも80%はここに止まる。これは私が選び出したものではなく、事の推移がそうであって、社会を企画する努力にも限界がある。トルコのシリア人は、自発的に戻る意志はない。そう仕向けるには何をすべきか考えるべきである。強制的に送り出すのか、これは可能なのか、このことを考えるべきである。もしそうできなければ、順応作業を行うしか術がない。トルコのシリア人はトルコ社会の中でほぼ5%以上を占めている。この5%を統べることはとても難しい。なぜならこの5%はさらに自己閉鎖的であるからである。自身の中に安全地帯を作っている。自らのシステムを築いている。トルコ語を学ぶ必要性を感じていない。肉屋や八百屋もあり、喧嘩をすれば友人もおり、トルコ人に必要性を感じていない。これに似た例は国外に暮らす我が同胞達からも見いだせる。
ー自己閉鎖的な状況はこの先いかなるものを生み出す
なんであれシリア人達と一緒に暮らすことになる。トルコにはクルド人、アラブ人、アレヴィー派、世俗派、信仰重視派を始めとして、多くの社会的に壊れやすい領域がある。この領域に新たなものが加わる可能性が高い。この影響は時が示すことになろう。深刻な危機の領域となる方向に進んでいる。
トルコで就学しているシリアの子供達の数は65万人以上に思えるが、40-50万の子供が就学していない。さらに以前に来た者達を加えれば、70万人以上である。こうした子供達はトラウマを抱えた子供達であり、戦争を逃れてやってきた。ここで差別を受けたと言っている。一方で幼少時から働いており、就学できず、この先危機を生み出さないと考えるのは過ちである…。この子供達は戦争の張本人ではなく、犠牲者である。今から対策をとらなければ、我々が一般に適応と呼んでいる働きかけを行わなければ、この先この脆弱部分が皆を悩ませうる。そのことに留意しなければならない。私が杞憂しているのは、財政問題以上の大問題に直面しうるということである。
第1に、トルコでさらに人種差別、さらなる民族的なナショナリズムが広がりうる。この萌芽を目にしている。シリア人も自分達の中で異なるナショナリズムを育んでいる、その中に入れないのは我々である。手にする賃金を見れば我々よりも低く、多くのシリア人はお互いの間でアラビア語を話すことができない、蔑まれるというより侮辱を受けるということで避けているのである。こういう状況を知っている。社会的な衝突を助長しないために、我々の適応作業を早急に進めねばならない。
調査の中で次のことがわかっている。トルコ社会は極めて不安に思っており、シリア人が去ることを望んでいる。しかし、にもかかわらず380万人ものシリア人は存在しないかのように暮らし続けている。これは実に特別な社会的な成熟に依っている。政治はことを今も窓から眺めているだけで、与野党ともシリア政府に注目を注ぎ、アサドが去れば、彼と和睦すれば、ことを解決できるといった夢想を抱いている。
80%以上のシリア人がトルコを去りたがっていない。為政者達も、トルコ社会にもはやシリア人を国籍を与える手続きについて、きちんと説明する必要がある。
ーシリア人の間でもナショナリズムが高まっていると仰ったが、どうなるのか。
2014年に調査を行った際にトルコのクルド人は極めて不安に思っていた。アラブ人を連れてきて、我々の中に住み着かせるのだと。我々の場所を彼らに与えるのだと。後にコバーニの出来事が勃発した。クルド人のアラブ人に対する見方はその時期に大いに変わった。
今現在行っている調査では政党をベースに、シリア人への見方を調べている。シリア人に誰が近しく立ち、誰が距離を置いているのかがわかる。まず皆が距離を置いているのだ。
この意味で衝突場所が何処へ向かっているのかを見ると、一旦、アラブ人とクルド人の間で緊張が生じうる。しかしそれに止まらず、特に白いトルコ人の中でシリア人に向けた反発がより急進的、激しいものとなろう。そこでの亀裂があらゆる方向に反映する、公正発展党(AKP)、民族主義者行動党、善良党、共和人民党(CHP)のすべてにである。
シリア人に政治的権利を付与することには相当数の人々が反対している。AKPとCHPの間に違いはない。
在住シリア人はあれこれのトラウマを抱えた社会である。この社会は自分達の中で支え合い、しばらくして自分達の中でナショナリズムを育みうる、このナショナリズムは外部から操作しやすいナショナリズムとなろう。
我々の社会では憎しみの言葉は共通して極めて力を持っている。人々は、シリア人に対して憎しみが生じていると語っている。テレビをつけて、メインニュースで、政治家の間での憎しみの言葉をみよ。自分達の間でも憎しみを抱く社会が、後発者に愛情や親しみを感じるのを誰がどう期待するというのか。
■雇用の創出は夢幻
ートルコのシリア人はどの業界で最も働いているのか、いい教育を受けているのか、この環境で新たな職を設けうるのか。
シリア人の出生率は5.2で、トルコ統計局(TÜİK)によれば、トルコの出生率は1.9である。この子供達にどの学校を見つけ、教員・学校数はこれで足りるのか、わからない。この子供達の父母に、いかに尊厳ある暮らし、家を見つけ、暮らしを立てさせられるのか。このことに集中する必要がある。
トルコでこれほど失業者がいる中、中短期的にシリア人に、文化的で、健康保険のある、人間の尊厳に相応しい仕事を創出するのは、夢幻である。以上だが、これを望むか望むまいかと、プロパガンダを行うことは別のことである。しかし、こうしたことを実現するのは、今のトルコの経済状況では可能には見えない。質のいい移民の90%は経済的先進国で暮らしている。しかし難民のわずか10%が先進国で暮らしている。単に経済的費用だけではなく、社会的費用もよりかかるからである。
ケルン大学の研究があり、彼らの計算を抽出した。彼らによれば、一人の難民は年間1万5000ユーロの負担になる。私もシリア人がトルコではなく、あたかもドイツで暮らしてるかのようにして計算したら、2500億ユーロと出てきた。難民と関連してお金以上に重きをもち、相当の負担となるものがある。それがトルコでのナショナリズムの高まりである。これ以上費用のかかるものはない。このことの政治面を一旦脇に置かねばならない。誰かが連れてきたならば、その人物が面倒を見よというのは正しくない。皆が尊厳のある暮らしを送る権利があるものと考える必要がある。トルコでの18歳未満のシリア人の数は200万人くらいで、彼らが戦争を起こし、進めているのでもない。彼らを怒りの中心に据えることに何の意味があるのか。
ー政治家達はどの分野でやり足りなかったのか気付いているのか。この分野で彼らが講じた措置は十分なのか。
トルコでは当初から特別な感情の環境のもと事が進んだ。為政者はすべてが元に戻る、一時的な滞在だとの理解のもと対処した。一時的避難所、一時的保護身分、一時的教育センター、すべてが一時的なシステムの産物だった。
権利や人を基軸とした政策を展開することが必要である。誉れある、安心できる共生を築く努力は、お客や兄弟的に接する感情的なアプローチよりも一層重要である。感情に基づいて最初にことを始めると、後に行き詰まる。「助力者の力」がどのような状態なのか、配慮すべきである。シャンルウルファでの調査では、文化的な近しさいかに重要ではないかを目の当たりにした。例えば、「アラビア語の看板をどう思うか」との質問に対して70%近くが反対と答えたのは驚きであった。シリア人に最も近しい社会、そうした人々さえ、これほど緊張し、これほど不快となるのは、十分に示唆的である。こうした文化的な近しさを過大視しない必要がある。トルコ社会の杞憂を真摯に捉えるべきである。あらゆる異議や杞憂についても、人種差別やファシストといったレッテルを張るべきではない。
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( 翻訳者:新井慧 )
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