シャベ・ヤルダーにおけるガズヴィーンの風習(その2)
2019年12月04日付 Hamshahri 紙


※シャベ・ヤルダーにおけるガズヴィーンの風習(その1)の続き
何故スイカなのか?
遠い昔、すべての果物はその季節にしかなかったので、冷蔵庫や保冷庫のような先進的な方法がなかったことを考慮すると、冬至までもつ唯一の果物はスイカであった。
ガズヴィーンの人々は、シャベ・ヤルダーにスイカを食べた人は、その翌年の夏に渇きには直面しないと信じていた。そのため、多くのスイカを冬至まで家の倉庫に保管し、友人や知り合いに分け与えていた人々もいた。

シャベ・ヤルダーの食べ物
ピスタチオ、アーモンド、ロシアンオリーブ(ヤナギバグミ)、クルミ、干しブドウなどがガズヴィーンの冬至の「シャブ・チャレ(夜に食べるナッツ類)」である。ガズヴィーンの人々の特別な習慣の一つは、クルミと干しブドウを混ぜたり、ピスタチオに塩をまぶして食べることである。またベサン(ひよこ豆粉)や麻の実をこの晩のもてなしの膳に出す人々もいる。
スイカやひまわりの種はガズヴィーンの人々の間でもっとも流通しているシャベ・ヤルダーのお菓子である。また冬至の夜のために「シールマーレ・ザンジビーリー【訳注:シールマールとは砂糖・サフラン・カルダモン・牛乳で作るデニッシュタイプのパン。ザンジビーリーは「ショウガ入り」の意味】」や、「ガーヴーテ・ケルマーニー【訳注:ケルマーン地方の豆粉で作る砂糖菓子】までも作る家庭もある。他にも大量のアーブグーシュト【訳注:羊肉・豆・ジャガイモなどの伝統的な煮込み料理】を作り、15人から20人の近所の人々を夕食に招待する家庭もある。
昔は、一部のガズヴィーンの人々は冬至の夜に「キャレパチェ【訳注:羊の頭や足を煮込んだ伝統料理】」を作り、夕飯を食べた後その骨を捨てずにいたが、それは春や秋に作物にアブラムシがつかないようにするために菜園や農地に撒くためであった。またキャレパチェの骨を焼いてその灰を菜園に撒いていた人々もいた。

アーシーグの存在
ガズヴィーンのトルコ系の人々の中には、「アーシーグ(サズという弦楽器奏者とアーザリー語【訳注:イラン国内のトルコ語系方言】の歌手)」を呼び、みんなでアーシーグが歌う神話や伝説の物語に耳を傾ける家庭もあった。
「シャーナーメ【訳注:イラン民族最大の民族叙事詩】」を歌うアーシーグや「キョルオール(アーザリー語の英雄叙事詩)」を歌うアーシーグもいる。トルコ系の家庭では夜遅くまで起き、拍手の合間に楽しく過ごす。

特別な風習
ガズヴィーンの人々はこの夜にナネ・サルマー【訳注:「寒おばちゃん」イランの民間伝承上のキャラクターで、彼女がやってくると冬が到来し、彼女が去るとアムー・ノウルーズ「ノウルーズおじちゃん」と入れ替わりにやってきて新春(ノウルーズ、イランの新年)の訪れを知らせると言われている。】が泣くと雨が、彼女の布団から綿を出すと雪が、真珠のネックレスがバラバラに裂かれるとあられが降ると信じている。
花婿から冬のプレゼントとして花嫁に「フンチェイェ・チェッレ【訳注:冬至の飾り盆】」を送ることは、ガズヴィーンの他の習慣の一つである。この州では、家の子供達が当時の夜にレスリングや力比べをして陽気に楽しく過ごすというような習慣を持つ家庭もある。

忘れられた風習
今日では完全に忘れ去られてしまった「シャール・アンダーフタン【訳注:「腰帯吊るし」】の習慣は、他家の娘に好意を抱く青年が冬至の晩に、その娘の家の屋根から腰帯を吊るし、もし彼女の家族が結婚を許可するなら、その腰帯にプレゼントを結びつけた。たいていは、娘の家族は靴下を腰帯に縫い付けるか、あるいは袋状にした腰帯の中に靴下や一握りの「炒り豆と干しブドウ」を入れるという風習があった。

コルスィー・サリー【訳注:「炬燵の上の飾り」】はこの州の人々のまた別の習慣である。この習慣は、婚約したばかりの新郎と新婦のために行われる。その習慣では新郎は大きな盆を炬燵の上に置き、その周りをさまざまなもので装飾する。その後、彼の財政的な能力を考慮して、一着分の布地やガンド【訳注:角砂糖】の塊や果物やナッツなどの贈り物を盆に乗せ、新婦の家へ持っていく。

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( 翻訳者:AN )
( 記事ID:48511 )