トルコ文学:詩から身を乗り出して・・・詩人キュチュク・イスケンデルの名作が再刊
2019年12月26日付 Hurriyet 紙


ハードカバーの特別装丁版によって再び読者と邂逅するキュチュク・イスケンデル氏の『私の目は私の顔に収まらない』は忘れることが出来ない最初の本の一つである。
なぜならこれは、一人の詩人の到来を告げる本であるからだ。彼の詩はまるで川のようにその底を覆い、滝のように高みから流れ落ち、そしてまるで海のような深みと大洋のような広大さをも併せ持っている。『私の目は私の顔に収まらない』のタイトル通り、その詩も本の中だけに収まっているのではない。


キュチュク・イスケンデル氏の最初の詩集である『私の目は私の顔に収まらない』は、1988年にアダム出版社から出版された。忘れる事の出来ない最初の本の一つである。なぜ、忘れることができないのだろうか?なぜならこれは、一人の詩人の到来を告げている本だからだ。
これは勿論、全ての処女作について言えることではない、非常に僅かな最初の本だけについて言えることである。私の80年代の詩集のうち、すぐに思い浮かぶもののうちにアキフ・クルトゥルシュ氏の『偽りの詩たち』(1983)、アフメト・ギュンタン氏の『最初の血』(1984)、ラーレ・ミュルデュル氏の『遠くの嵐』(1988)、セイハン・エロズチェリキ氏の『絶望とピストル』(1986)、オスマン・コヌク氏の『あなたの事が分かるのは私だけ』(1982)、W.B.バイルル氏の『天使は過ぎ去った』(1986)といった本がある。勿論のこと、イスケンデルの本もである。これらの本もある意味では、「布地は最初の一メートルから完成されている」という言葉が当てはまる実例であり、どれも全てが私たちの詩にとっての先駆的な人物たちであるこの詩人たちの詩の冒険もまた、この言葉を何年後かのうちに毎回、新たに裏付けていったのである。
イスケンデル氏の最初の本は、自然に喩えて表現してみれば、ただ水のような流れなのではなく、まるで川のように川底を覆いつくし、滝のように高みから流れ落ちて、まるで海のような深みをもちそして大洋のような広大さをも併せ持っているのだ。
『私の目は私の顔に収まらない』は、そのタイトル通り、詩も本の中におさまることはない。イスケンデルの奔流は、当時から際立っていた。どの本でもよい、その詩を読んでみるとよい。まるで扉を開こうとしたり、今にも羽ばたこうとするかのようであり、外へ飛びだすようであり、本から乗り出そうとするかのように、全てが存在している。不穏さをひめた姿であり、緊張をはらみ、忙しない形で佇んでいる。

■恐らくはナーズム・ヒクメト以来、最初の・・・

一つの詩が、恐らくには初めて、ナーズム・ヒクメト以来、地下から振動を巻き起こしながらやってきたのである。ナーズム・ヒクメトの詩が初めて世に出た時にもアフメト・ハーシム、ヤクプ・カドゥリはこの詩を「シンフォニックな詩」、そして似た形式のものや多声音楽に、また多元論に関連する様々なイディオムと形容詞を用いて出迎えたのである。これと似たような評価もまた、イスケンデル氏の詩にもたらされたのだ。
 ある一冊のキュチュク・イスケンデル氏の本について語ることは、私にとってみれば実際のところ彼のすべての詩と本について語ることと同義である。何人かの作家とそして詩人たちとは反対に、私はイスケンデル氏の詩にドラマティックさの減退もしくは変化が起こったという見方はしていない。とりわけイスケンデル氏のような一人の詩人について、このように判断するということが簡単なことであるとも、私にはあまり思われない。その通り、デビュー時のように衝撃的なものではないかもしれない。だが腰を落ち着けてみて、真剣に
語ってみようではないか。
イスケンデルは何本も枝分かれをする川であり、それについて時には流れる水を検討してみたり、時には(いくつもの流れが)一体となったり、しかし最後には決壊する一つの川の印象から、そのように読まれたのだとわかる。
ジャン出版社は今、忘れることのできないどの作家の最初の書籍の特別装丁版を出版しているのであろう?ラティフェ テキンの『親愛なる恥知らずな死』、アルベール・カミュの『異邦人』などなどだ・・・『私の目は私の顔に収まらない』も―まったく残念なことにーイスケンデルは目にすることなく(訳注:キュチュク・イスケンデル氏は2019年7月に癌でこの世を去った。享年55歳)特別装丁版で出版された。本は、いくつかの節がアフォリズムの狙いで繰り返される、あの素晴らしい「全ての詩人は死刑執行のペンを執って書かれる」という詩から始まるのだ。最初のアフォリズムである「私の首を吊る前に、私にあのまだ私が知らない鳥たちについて教えてください」というその詩は、「恐怖も、死も、痛みも/
人を新たに生まれ変わらせる準備の苦しみなのだ/しかしながら愛しい人よ決して忘れないでほしい/果実をもたらすことのない唯一の木は、絞首台なのだ・・・!」というアフォリズムによって、ナーズム・ヒクメトにも挨拶を送って終えている。
そのあとでエディプ・ジャンセヴェル氏が亡くなった5月28日(1986年)は、キュチュク・イスケンデル氏の誕生日であるということを伝えている。そして彼の詩の奔流へ、その濃密さへの示唆が与えられている。

■詩に収まりきらない一人の巨大な詩人の姿

その他の詩人は、彼らの詩も、それらの名前とまたリファレンスとともに、この詩へと取り込まれることになる。
国の様々な問題からマイノリティーたち、セクシャリティから排他性に至るまで、どれほど「可燃性」のものがあれ、それらの煙によって目を燃え上げさせるのだ、この詩は。
イスケンデル以降は恐らくには、その詩は地下から地上へと登り出て、目の前に立ち現れることになったのだ。以下のことは指摘しなければならない。私たちの詩は二度、地殻変動が起こったのだ。その最初のものではナーズム・ヒクメトが一つの先駆けの力となって扉を開いた、二回目ではキュチュク・イスケンデルが、その匠の勇気をさらに押し広げる襲撃を行ったのだ。
『私の目は私の顔に収まらない』は、勇敢な襲撃に満ち溢れたデビュー作である、という以前にまるで一つの演目をその初めから告げているような本なのだ。
「ケレムとシュレの別れのシンフォニー」というタイトルの長い詩もまた、この詩の古典の大きな褒賞として本の最後で私たちのことを待っている。
『私の目は私の顔に収まらない』は、詩の枠に収まりきらない一人の巨大な詩人の姿である。

『私の目は私の顔に収まらない』(ハードカバー)
キュチュク・イスケンデル
ジャン出版社、2019
144ページ、27.5リラ

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:48519 )