世界的な(COVID-19の)感染拡大を受けて、海外で勉強を続けている約5万人の学生の一部がトルコに帰国した。しかし、授業料や論文の準備、航空券代、14日間の隔離条件などの理由で滞在している場所にとどまることを選んだ学生も多い。アメリカ、イタリア、スペイン、イギリス、ポーランド、チェコ、エストニア、スロベニア、ドイツで学ぶ学生たちに、現地での生活について尋ねた。
■1年のロスはないムハッメド・エフェ・ギュヴェンさん(22)、ポーランド
ワルシャワ経済大学建築学部の1年生です。ここには世界のあらゆる場所から来た学生がおり、最高レベルの対策が取られています。ワルシャワでは人々はとても高い意識を持っています。厳格な禁止は行われていません。それぞれがとても気をつけているからです。人々がとても意識を持って暮らしているので、トルコに戻る必要性は感じませんでした。授業はインターネットで続いています。このため、1年のロスもありません。日々授業以外では部屋の掃除、料理、個人的なことをして過ごしています。週に一度、スーパーに買い物に行きます。ここでは肉が安く、たくさん消費しています。感染者数が減れば、夏にトルコに帰るつもりです。
■ここに来るためにとても頑張った
ヤームル・サクさん(23)、スペイン
2月にエラスムス計画でマラガ大学に来ました。ユルドゥズ工科大学数学部の3年生です。スペインは、残念なことにパンデミックの影響を最も受けている国の一つとなりました。バルセロナやマドリードの友人たちに比べると私は幸運です。ここでの感染者数はより少ないからです。ここに来るためにとても頑張ったので、帰国しないことを選択しました。しかしバルセロナやマドリードにいたら違う決定をしていたかもしれません。
■COVID-19に罹患
セルハト・エルドアンさん(23)、イギリス
1月16日に語学を学ぶためロンドンに来て、マスター・アカデミー語学学校に通い始めました。ロンドンに住むおばとその家族と一緒に暮らしています。イギリスではCOVID-19が流行りはじめた頃、深刻には受け止められませんでした。授業は学校で行われ続け、人々は仕事に行っていました。その間にも感染者数は増え始めました。感染者数が増えると医療が崩壊しました。おじといとこと私も病気にかかり、20日間自宅隔離されました。この間もトルコに帰りたいとは思いませんでした。14日間の隔離期間に再び感染するのが怖かったからです。
■友人と共に帰国するか残留するかだったシリン・トゥナルさん(20)、イタリア
トリノのヨーロッパ・デザイン学院でコミュニュケーション・デザインを学ぶ学生です。2年間、学生で友人であるデニズと一緒に暮らしています。イタリアは中国との交易が盛んで多くの中国人学生がいます。パンデミックがイタリアにこれほどの影響を与えるとは最初の頃は考えていませんでした。感染者数は増加しました。帰国するか残るかは難しい決断でした。2人で一緒に帰国するか、一緒に残るかでした。お互いに支え合おうと考え、残りました。授業に集中して日々を過ごしていれば集中力の問題が好むと好まざるとにかかわらず起こります。私たちは7月にもトルコに戻ろうと考えています。
■安全だと感じている
ムラト・ジャン・ユクセルさん(28)、エストニア
2年前に大学院に通うためタルトゥに来ました。タルトゥ大学で記号学を学んでいます。生活費は自転車宅配で稼いでいましたが、対策の一環でこの仕事もできなくなりました。大変ですが、論文執筆段階のためトルコに戻ることは望みませんでした。エストニアは貧しい国ですが、あらゆる投資を技術とデジタルに行ってきました。私の論文の事前審査もインターネット上で行われ、まったく不便はありませんでした。
■授業が再開
シェッヴァル・オズテキンさん(22)、チェコ
エラスムス計画で2月14日にチェコのブルノ工科大学に来ました。チェコでの最初の感染者はトルコより前に判明しました。イタリアにスキーをしに行ったチェコ人の家族でした。最初は深刻には受け止められていませんでしたが、死者数が突然増え始めたことにより私たちの学部も閉鎖され、インターネットでの授業に移行しました。私たちの大学のキャンパスは大きいので、短い散歩をしています。生活は徐々に通常に戻りつつあります。近いうちに4人の教室で授業が始まります。
■論文執筆中のため帰国を望まなかった
ウウル・オザン・デニズギュニュさん(26)、ドイツ
3年間フライブルクにあるフライブルク大学で英文学の修士課程に通っています。今年が最終年度で、論文の準備をしているため、中断を望みませんでした。ドイツは有効な対策と強力な医療政策を取っているため、安全だと感じています。インターネットを通じて図書館のサービスを利用していますが、このことも、私の論文執筆が少し遅れる原因となっています。
■寮の1フロアに1人で残っている
タルハ・タフスィン・タンルセヴェンさん(24)、アメリカ
ベイ・アトランティック大学でサイバー・セキュリティーの修士課程のために1年半前にワシントンに来ました。多くのトルコ人学生とともに寮に住んでいます。そのうち80%はすぐに帰国しました。寮の学生数が減ったため、1フロアに1人で残っています。家族は帰国を望んでいますが、私は授業のことを考えています。帰国と隔離期間は私の最終試験の週と重なります。1学期を落とすことはできませんでした。
■航空券代が高かった
トゥーチェ・トカトさん(22)、スロベニア
アンカラ大学社会福祉学部の学生です。エラスムス計画でリュブリャナ大学社会福祉学部に来ました。感染が爆発し、インターンシップが中断されました。さらに、国費留学生に与えられているレストランで無料で食事をする権利と1時間無料で自転車を利用する権利も停止されました。レストランが閉鎖されたからです。私に与えられている奨学金は300ユーロです。4月28日の航空券代は231ユーロで、高く思えて、帰れませんでした。
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:49060 )