イスラーム哲学:イブン・ルシュドのガザーリーへの痛烈な反論(2)
2020年06月17日付 al-Quds al-Arabi 紙
■哲学:イブン・ルシュドがガザーリーを論破する
【本紙:アズィーズ・ハダーディー】
『哲学者の矛盾』の構造を論駁し、それを『矛盾の矛盾』に変えるために、イブン・ルシュドは論証の領域から論争と詭弁の領域に移され、すでに何の意味も持たなくなった全ての概念を精査している。すなわち、第一原因は生成者ではなく、行為主とは決して不十分な行為主ではない。世界の無始性は、創造者を否定することではない。「哲学者たちは、かつて、世界を以前に存在しなかったあらゆるものを守るものと呼んでいた」(とルシュドは書いている)。さらに世界は、必然から可能への、無から存在への、一から多への、意欲から意欲の欠如への転換点にいる。「人間とは、その時代や地位次第で容赦されるものだが、この男は自分の本の中で苦しんでいる。」
いったい、どの程度ガザーリーは詭弁家であり、同世代の人々をだまそうとしていたのか?また、ガザーリーの時代と現代はどういう関係にあるのだろうか?
『哲学者の矛盾』とは、イブン・ルシュドに言わせると、ガザーリー自身の矛盾の認識である。その証拠は、彼がこの本を意のままに書いたということだ。この本の欠陥は、ページのいたるところに現れている、ルシュドは次のように批判している。「これは第一級の論理に基づいた言葉である。しかし詭弁にすぎない、説得力に欠け、害多き言葉である。誤っており、説得力の薄い言葉である。この男は3つの点で哲学者たちを不信心者だと判断している。これらは全てうわごとであり、間違いなく、この男は神学においても哲学においても間違いを犯している。」
(3)に続く
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( 翻訳者:藤原路成 )
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