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AP通信は戦闘当初、襲撃された兵器庫の残骸を世界に公開し、期限数時間前にケルベジェルから立ち退いていく占領軍の動きを降参であると言わざるをえなかった。速報によるとアゼルバイジャン軍は27年間占領下にあったケルベジェルへ進出した。
1.アゼルバイジャン軍は27年間占領下にあったケルベジェルに進出した。
2.この速報の前に44日間にわたる戦闘に敗北し、ナゴルノ・カラバフから撤退しはじめたアルメニアが、占領地に数千個の地雷を設置したことが報じられている。
3.11月23日に占領から解放されたスコブシャンにて爆発した地雷によりアゼルバイジャン軍のババク・サミドリ大佐が亡くなっている。
4.公式声明によると地雷の爆発により平和維持部隊のロシア軍兵士1人とアルメニア人の護衛部隊4人が負傷している。
5.ロシアのイタルタス通信社は国連がナゴルノ・カラバフへの地雷除去任務の派遣に取り組んでおり、ロシアとともに活動する準備していることを明らかにしている。
6.同社に応じた国連当局の者は、「国連地雷対策サービス部(UNMAS)が他の国連機関や当地域の国のチームと協力する形で、多方面に渡り要求されている国連の支援体制を緊急に展開するよう取り組んでいる。」と述べた。
7.赤十字国際委員会(ICRC)はナゴルノ・カラバフの予算を4倍に増やすよう計画している。ICRCのピーター・マウラー総裁は当地域に400-500人を追加で派遣する必要があると述べ、以下のように言及している。
8.「戦闘以前の当地域の任務の予算は1,000万フランであった。来年は4,500万フランとなるだろう。つまり4倍になる。今現在、当地には人がとても少ない。エレバンとバクーには赤十字社のオフィスがあり、ステパナケルトにもこれを開設することを予定している。」
9.ケルベジェルからの撤退に10日の追加期間を要求し、この要求がアゼルバイジャンによって認められたアルメニアは11月25日の前日に軍隊を地帯から撤退させている。
10.ソーシャルメディアに投稿された映像では、当地域のアルメニア軍が護衛とともにケルベジェルから再び戻ることのない出立をしているのが見られる。
11.映像記録で最も目を引いた瞬間が歴史的な敗北を喫した軍人たちが何事もなかったかのようにバスの窓からアルメニアの国旗を見せ、勝利の仕草をしていることであった。
12.アゼルバイジャン国防省が行った声明ではアゼルバイジャンとアルメニアの間でロシアが仲介者として署名された停戦合意に従い、アゼルバイジャン軍がケルベジェルへの進出したことを知らせている。
13.声明では軍が通過する山道の地雷が除去されたことを述べている。アゼルバイジャン軍が9月27日に開始した作戦で5つの市の中心と4つの町、286の村を解放したためアルメニアは敗北を認め、占領下にあったアグダム、ラチン、ケルベジェル各県からも立ち退くことを約束する合意にも署名した。
14.AP通信はアルメニアですらも馴染みのないナゴルノ・カラバフ共和国の首都ステパナケルト近郊にあるアイゲスタンからの写真を公開した。
15.ナゴルノ・カラバフ紛争の初週がちょうど終わる頃、アイゲスタンのアルメニア軍所有の兵器庫が11月4日にアゼルバイジャン軍により破壊された。
16.AP通信の写真には破壊された兵器庫の残骸もある。数百もの焼けたヘルメットや壁の一部分だけが残った建物、数千もの銃弾だ。
17.AP通信は当地域に到着した世界でも最も大きな最古の地雷除去組織であるヘイロー・トラストのチームが爆発した兵器庫を取り壊す準備をしていることを報じている。
18.ナゴルノ・カラバフを占領していたアルメニア人が退去したアズフ村で家屋の探索がなされた際に遺跡物の盗難の痕跡が見つかった。ホジャベンド地区近郊のアズフ村には世界的に有名なアズフ洞窟がある。
19.上部に「アズフAzıh」と書いてあるのが読める箱には27年間にわたる占領期間に洞窟で行われた違法な発掘での出土品が隠されているのが見られた。学者への通達がなされ、アザド・ゼイネロフ博士が村へ派遣された。
20.アゼルバイジャン考古学・民俗学研究所(ANAS)のネジェップ・ムセイブリ教授は村の家屋内の箱で発見したものは週始めに首都バクーへと運ばれると述べた。
21.最初の科学的な調査が1960年代に始まったアズフ洞窟はカフカス地方の最古の人類の居住の 痕跡が見つかった場所にある。
22.洞窟にあった下顎の骨は少なくとも30万年前のであることが認められており、遺体も120万年前の物であると推測されている。
23.メフリバン・アリエフ大統領夫人とともにアルメニア軍が11月20日に合意に従い放棄したアーダムを訪れたイルハム・アリエフアゼルバイジャン大統領は西側の指導者に呼びかけた。
24.大統領夫人はインスタグラムのアカウントに投稿した画像で、アリエフ大統領が以前フズリとジェブライルでしたように自身で車を運転しているのが注目を集めた。
25.アリエフ大統領はアーダムの街の訪問で、本堂にあたる部分が完全なかたちで残る唯一の建物である歴史的なモスクの視察をした。大統領夫人とともにモスクの入り口にある壁に口づけをしたアリエフ大統領は、モスクの聖職者にメッカから持ってきたコーランを贈った。
26.数年前に塹壕からアーダムを双眼鏡を使い見たと言うアリエフ大統領は、この一帯を遠くから見た時の感情を言葉で言い表すのは難しいと述べた。
27.「メッカを4度巡礼したため私は幸せである。聖カーバ神殿で家族と祈りを捧げたため幸せである。皆の胸にあるものは私の胸にも同じくあった。第一の願いは国土の救済であった。
28.今日野蛮な者が破壊したモスクの前で言うのは、私は幸せ者であると言うことである。祈りを聞き届けられ、私に力を与えてくれた神に感謝を…。
29.誰も、とりわけイスラム嫌悪を煽る西側の指導者たちが心配する必要はない。彼らは神聖なイスラム教の価値への中傷を無視してきた者、実際に侮辱してきた者を正しいとみなしている。彼らはこの問題に対して発言する権利を持たないのだ。
30.また、我々の領土にある全ての礼拝所は我々の歴史的財産である。モスクを閉鎖した者たちが我々を非難し、モスクに豚の頭を投げ込んできた者たちが我々に忠告し、懸念を伝えようというのか。我々にどのような懸念も知らせる必要はない。歴史的遺産の全てが国家により守られようとしている。」
31.国際的なメディアは11月第三週にアゼルバイジャンの戦車がアーダムに展開したこと生放送で伝え、こうして27年間に及ぶ占領が公式的に終了した。戦車が通過していくのを見ていたアゼルバイジャン市民はBBCの特派員に対して、「早朝4時からここにいる。心臓が張り裂けそうだ。アーダムを見てみたい。空気を吸いたい」と語った。
32.アルメニアで行われたアンケートでは、アルメニア人の、ナゴルノ・カラバフを完全に失う直前で来たロシアに対する見方が明らかになった。
33.アルメニア国民の約85%がロシアを同盟国として見ている。アンケートに参加した者の約84%がロシアに対して「良い態度」を示していると述べている。
34.アンケートはアルメニアに住む人のうち5人中4人がモスクワから軍事的・政治的支援を受ける準備ができていることを示している。9.4%の割合がロシアを好まないと述べている。
35.アンケートに参加した者の62.3%がロシアをアルメニアにとって友好国であるとしている。二番目に39.9%でフランス、三番目に6.4%でイランが位置している。参加者の5.8%がアメリカを、1.2%がジョージア、0.6%がドイツを友好国とみなしている。
36.ロシアのウラジミール・プーチン大統領は今週行った声明でアルメニアが敗北に合意することを拒めば、「自殺行為」となりえることを述べた。ナゴルノ・カラバフはアルメニア含め誰も認識していなかったと言うプーチン大統領は、「カラバフの最終的な位置づけは決められていない。今ある現状が続くことに関しては合意している。今後どうなるかは未来の指導者である、将来的にこのプロセスに関与する者が決定する。」と述べた。
37.アルメニアを混乱させた合意によるとナゴルノ・カラバフの衝突ラインとラチン回廊に1960人のロシア平和維持部隊が配置される。トルコとロシアは、さらにアゼルバイジャン領土に設立される停戦監視センターにともに駐在する。
38.ナゴルノ・カラバフ紛争は9月27日の日曜日の朝方にアルメニアの停戦違反により始まった。ナゴルノ・カラバフは国連と国際社会によってアゼルバイジャンの一部であると認められている。しかしアゼルバイジャン領土の約20%にあたるナゴルノ・カラバフと周辺諸地域は1990年代始めからずっとアルメニアの占領下にあった。当地は1991年に「ナゴルノ・カラバフ共和国」と宣言された。しかしこれを国際的な場ではアルメニア含めどの国も認めなかった。
39.南カフカス地方の4,400平方キロメートルを含むナゴルノ・カラバフ(高地カラバフ)はアゼルバイジャン・アルメニア間の最も大きな問題として長年解決が待ち望まれてきた。「ナゴルノ・カラバフ」という言葉の起源は多くの異なる言語が混ざり出来た。名称内にある多くの言語すら、当地が歴史の中の異なる文化間の移り変わりにどのように晒されてきたかを自然と示しているかのようである。
40.英語ではNagorny(もしくはNagorno)である。「Nagorny」という言葉はロシア語で「山岳の(Нагорный)」という意味である。アゼルバイジャン語でまさにトルコ語の「山岳の」という意味である「dağlıq」や「高地」という意味である「yuxarı」という言葉であると言われている。カラバフはトルコ語とフランス語を繋ぎ合わせた言葉で、「黒い庭」という意味である。
41.1991年12月10日に行われ、当地に住むアゼルバイジャン人がボイコットした国民投票でアルメニア人は、アゼルバイジャンから独立するために投票をした。投票後、ナゴルノ・カラバフの独立が宣言されたが、この企てに国際社会は反応を示さなかった。アルメニア軍の支援はナゴルノ・カラバフに住むアルメニア人とアゼルバイジャン人の間の緊張を独立宣言とともにますます高めた。起こった対立は1992年のアルメニア軍及びナゴルノ・カラバフのアルメニア人とアゼルバイジャン軍の間で熱い戦争へと変化した。
42.ナゴルノ・カラバフのアルメニア人は紛争の末、統治の全ての支配を獲得したかのように隣接する7つの地域(県)も占領した。こうしてナゴルノ・カラバフとアゼルバイジャンの直接的な接点はかなり制限された。ナゴルノ・カラバフ問題は学術界で長年、「凍結された紛争」とされてきた。断続的に続いてきた解決交渉にも関わらず、双方による停戦違反が度々繰り返された。
43.50万の難民がアゼルバイジャンとアルメニアに避難し、およそ100万人が強制退去を余儀なくされた。ナゴルノ・カラバフ紛争が始まる前に存在したいくつかの小さな町や村は完全に取り残され、廃墟となった。アゼルバイジャン領土の14%以上が現在占領下にある。
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( 翻訳者:岩坂翼 )
( 記事ID:50227 )