トルコ・ユダヤ人協会名誉総裁ベンシヨン・ピント氏は、ウルス・アシュケナジム・ユダヤ人墓地で行われた葬儀の後、アルナヴトキョイ・ユダヤ人墓地に埋葬された。
トルコ・ユダヤ主席ラビのイサク・ハレヴァ師は、新型コロナウイルスに感染したため、式典にはオンラインで参加した。
3日前に自宅で亡くなったトルコ・ユダヤ人協会名誉総裁のベンシヨン・ピント氏(85)のために、ウルス・アシュケナジム・ユダヤ人墓地で葬儀が執り行われた。葬儀では、妻のエティさんと息子のベンジャミンさん、ハイムさんが弔辞を読み、メフメト・ヌリ・エルソイ文化観光大臣、オメル・チェリキ公正発展党(AKP)報道官、アリ・イェリリカヤ・イスタンブル県知事、エクレム・イマムオール・イスタンブル広域市長、シェルディル・ダラ・オダバシュ・カドゥキョイ区長、ハイダル・アリ・ユルドゥズ・ベイオール区長、タンス・チルレル元首相、ジャナン・カフタンジュオール共和人民党(CHP)イスタンブル県支部長、ブラク・エルマス・ガラタサライスポーツクラブ会長、エロル・コヘン・トルコ主席ラビ庁会長兼トルコ・ユダヤ人協会共同会長らを含む多くの人々が出席した。
トルコ・ユダヤ主席ラビのイサク・ハレヴァ師は、コロナウイルスに感染したため自宅からオンラインで出席した。同師は、ベンシヨン・ピント氏とは約60年前に知り合ったと述べ、「彼とは、1960年台半ばだったと思うが、私が若く理想主義の宗教家であり、彼も私よりいくつか年上だったものの若く、理想主義で、新しい目を持つ協会幹部であった頃に知り合った。すべてについて意見が一致したわけではないことは確かだ。だが、 最終的にはあらゆることについて 妥協点を見つることができたこともまた事実だった。彼は、我々の協会でまれに見る真のスターの1人であった。規律正しい人物だ…。最適な形で組織を作り上げる一方で、人々のポテンシャルを的確に評価し、周りの人々を最も有効な形で働かせることができる真のリーダーであった。彼の人となりも、トルコの健全さと発展のために特筆すべき努力を示し、真の愛国者として我々の国と社会に奉仕したことも、決して忘れられることはない」と語った。
息子のハイム・ピント氏はスピーチを行い、次のように述べた。「父は私たちを別れに慣れさせていた。人生に順応させたのと同様に、人々への手助けを習慣づけたのと同じように、私たちを別れに備えさせた。兄はこのことを次のように言っていた。『船はゆっくりと遠ざかった。まず音楽が聞こえなくなり、その後姿が薄れ始めた。その頃には船は霧の中に去って行った。船が視界から消えるまで。互いの声が聞こえなくなっても、互いの姿が見えなくなっても、我々はいつまでも埠頭にいた。彼も甲板から振り返っていると、いつでも心の中で感じられていた。父について言いたいことはたくさんある。しかし父についてまずよい人間であったと言うのが適切だろう。すべての人は本質的によい人間だ。しかし個人の力量で行われる善行は、利益が一致するまではよいものである。父はこの点においても違っていた。公正さと支援の心を決して失うことはなかった。
式典は祈りの朗誦で終わり、その後ベンシヨン・ピント氏はアルナヴトキョイのユダヤ人墓地に埋葬された。
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( 翻訳者:永山明子 )
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