フラント・ディンク暗殺事件から15年が経過
暗殺により殺害されたアゴス新聞編集長のフラント・ディンクが襲撃された現場で追悼が行われた。
2007年1月19日拳銃で襲撃され命を落としたフラント・ディンクのため、毎年のように今年も15時に暗殺が行われたアゴス新聞の旧本社があったセバト・アパルトマンの前で追悼集会が行われた。
集会にはフラント・ディンクの妻であったラケル・ディンクと子供たちのアラト・ディンク、デラル・ディンク、セラ・ディンクと兄弟のイェルヴァント・ディンク、人民の民主主義党国会議員ガロ・パイラン、ヒュダー・カヤ、オメル・ファルーク・ゲルゲルリオール、アダラル区長エルデム・ギュル、マルテペ区長アリ・クルチ、共和人民党イスタンブル県知事ジャナン・カフタンジュオールとアフメト・カヤの妻ギュルテン・カヤを含む多くの人々が列席した。
■横断幕が掲げられ、カーネーションがそなえられた
ディンクが殺害された場所にカーネーションが備えられ、蝋燭が灯された。アパルトマンにフランク・ディンクの写真が掲げられその上に「彼の魔法のような言葉、鋭い視点、平和への信念そして大きな笑顔から離れてしまい15年が経った、兄弟よ」と書かれた。
集会はディンクへの黙祷から始まった。その後ディンクのスピーチの一節が流された。式典プログラムの間に参加者たちの中には涙を流す者もいた。
■ラケル・ディンクは涙を堪えられなかった
集会でディンクの妻であるラケル・ディンクはスピーチを行うためにアパルトマンのバルコニーに現れ、涙しながら「背中から危機的な銃弾が打ち込まれあなたを私たちから連れて行ってしまってから15年が経ちました。あなたの声はいまだ私たちの耳の中で聞こえます。一方で人々に行われていることをあなたが説明するたびに、彼らは、あなたは裏切り者で後ろから刺していると避難しました。主よ、『敵を愛し、あなた方を憎むものに親切にしなさい。あなた方を呪うものを思いやり、行動するもののために祈れ』とあなたは仰います。祈ります。十字架の上であなたが仰ったように、『彼らを許しなさい』」と述べた。ディンク婦人はこの間涙を流し続けた。そして集会に参加した人々は、ラケル・ディンクに拍手をし、「我々みんながフラント、我々みんながアルメニア人」とスローガンを唱えた。
その後スピーチを継続したラケル・ディンクは「15年が経ちました。15の失われた年です。あの日の子供達はナーズムのように成長しています。我々が解決できなかったすべての問題を彼らの肩に負わせてしまっています」と述べた。ラケル・ディンクはスピーチの後に群衆に挨拶をし、バルコニーを去った。
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( 翻訳者:岩田和馬 )
( 記事ID:52250 )