イラク:バルキース・シャラーラと記憶のかばん(4)
2021年11月26日付 al-Quds al-Arabi 紙
■バルキース・シャラーラと記憶のかばん:イラク人の食とリフアト・チャーディルジーの香りについて
【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
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事件を受けて、バルキースは、シャラーラ家というレバノン系イラク人の家族が20世紀以降に経験した変化の記録を調べるために自身の記憶の箱を開けることを決めた。夫のリフアトが初期のほとんどの著作において駆使していたのと同じ手法である。というのもリフアトは、建築に関する哲学的で理論的な考えを論じた後期の著作とは対照的に、初期作『父の姿』や『ウハイディルと水晶宮』では、記憶と伝記が社会の変化を読み取るための豊かな場を開く可能性を伝えようとしていた。それはまた、過去とその因習を批判し、革命を起こすための場となり、現在と未来の危機を想像するための場ともなるというのである。しかし、夫からのこうした影響は、バルキースが異なる信念によって自伝を”調理”しなかったということを否定するものではなかった。リフアトの世界を特徴づけた建築というテーマを、バルキースは例えば食や妻というテーマに置き替えた。それが最初に分かるのは、彼女が書いた父親の伝記である。ムハンマド・シャラーラ氏はレバノン出身で、1930年代にレバノンのビント・ジュバイル地区を離れ、イラクのナジャフ市でアラビア語教師として働いた。この伝記によれば、1940年代のイラクのヒッラ市にはレバノン人コミュニティが形成されており、ほとんどが医師と教師であったという。その背景として、今日の読者がおよそ想像するような宗派的な理由があったのではなく、当時のイラクは医師不足で、イラク政府はレバノンから専門家を募ることでその穴を埋めていた。バルキースが自分の父親について書くことは、夫のリフアトもイラクの有名な政治家であった父親のカーミル・チャーディルジーについて書いていたことを想起させる。
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( 翻訳者:下宮杏奈 )
( 記事ID:52919 )