イスマイルアー教団長、アタテュルク時代の教団廃止を批判
2022年09月29日付 Hurriyet 紙
イスマイルアー教団のメスト・デミル教団長は、1925年に修道場を閉鎖したトルコ共和国の建国者である国家指導者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの時代について言及した。デミル氏は「いつ修道場が閉鎖されたのか。イスラーム法学者や神の友人らが死刑となり処刑された。それ以降、彼らが望んでいた外側から整備する法律をもって国を統べようとした」と述べた。ADD(アタチュルク主義委員会)のヒュスニュ・ボズクルト委員長はデミル氏を検察に告訴した。
共和国建国者であるムスタファ・ケマル・アタテュルクは、1925年8月30日にカスタモヌで行った演説で「皆さんがよく知っているように、トルコ共和国はシャイフ、修行僧とその弟子や構成員の国家ではない。最も正しい真実の道は文明の道である。文明が必要としていることを行うのが人間であるための十分条件だ」と述べ、修道場の閉鎖を示唆した。
1925年11月30日時点で677を数えた「修道場・聖廟の閉鎖と、聖廟の管理人と一連の尊称の禁止に関する」法律が制定された。この法律は1925年12月13日に施行され、モスク・礼拝場以外の修道場・聖廟が閉鎖されたほか、スーフィー教団のシャイフ、デルヴィーシュ、ムリード、サイイド、チェレビー、ババ、エミール、ナキーブ、ハリーファ、ファルジュ、ビュユジュなどの尊称が禁止された。
■アタテュルク時代についてスキャンダラスな言葉
イスマイルアー教団のメスト・デミル教団長は「今日、何のために教団やに対する攻撃があるのか」という問いに対し、修道場・聖廟の閉鎖の方針が決定されたアタテュルク時代に関してスキャンダラスな表現を使ったということがわかっている。
デミル氏は「いつ修道場が閉鎖されたのか。イスラーム法学者や神の友人らが死刑となり処刑された。それ以降、彼らが望んでいた外側から整備する法律をもって国を統べようとした」と述べた。
デミル氏は続けて「我々はトルコの状態を知っている。あの日から今日まで名誉を失い、尊厳も失い、特別な価値も失った。神は毎日の食事の豊かさを取り上げた。全ての物に豊かさが残っていない。トルコには何百万もの事件がある」と述べた。
■「アタテュルクを公然と侮辱」
ADD(アタチュルク主義委員会)のヒュスニュ・ボズクルト委員長は、メスト・デミル氏がアタテュルク時代について述べた言葉についてCumhuriyet.com.trで意見を述べた。
ボズクルト氏は「メスト・デミル氏は、教団のなくなった指導者の葬儀が国家的な式典として執り行われたことで気が大きくなり、アタテュルクを、世俗主義の共和国を、革命期の法律を、そして憲法を公然と侮辱し、国家に対して挑戦し、敵意と嫌悪を撒き散らすことを躊躇しなかった」と述べた。
ボズクルト委員長は検察に告訴し「疑いのない事象は独立した司法の手に委ねられる必要がある。検察はその名にふさわしい適切な振る舞いをし、このような国家の敵に対して必要な対応をすべきだ」と述べた。
■これまでに何があったのか?
Cumhuriyetは9月7日、イスマイルアー教団のメスト・デミル氏が、エーゲ海地方で発生した地震は女性の服装と中絶が原因だと述べたという記事を掲載した。
デミル氏は、国民の生活スタイルの選択を槍玉に挙げ「現在、大学がどこに開校してもあらゆるモラルが減退している。今年は20〜30センチ丈の服装で歩いており、モラルがない。神は導きを与え、気づきを与えてほしい。30センチ丈の服装で歩き回るのはどれほど下劣なことだろうか。これほどの災害でも、地震でも十分ではないのか、8月15日の地震(1999年8月17日に発生したイズミット地震)でも十分ではないのか」と述べた。
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( 翻訳者:神谷亮平 )
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