ラバトとテルアビブの国交正常化以降の異常な関係 モロッコ―イスラエル間の軍事協定 なぜモロッコとイスラエルの政治関係は進展しなかったのか(1)
2023年01月05日付 Hamshahri 紙


 イスラエルとモロッコが国交正常化協定に署名してから二年経った現在もなお、二国間には時に緊張を伴う冷たい雰囲気が漂っている。

【本紙−レザー・アムーイー】モロッコはスペインやフランスと並び、地中海と大西洋の両岸の恩恵を同時に享受する世界でも稀な3か国のうちの1つであり、まさにこの理由でこの北アフリカのアラブ国家は観光誘致において功績を上げてきた。2022年上半期だけでおよそ340万人の外国人観光客がこの国の穏やかな海岸を訪れたほどである。政府の統計によれば、観光部門によって2021年のモロッコのGDPは90億ドル増加し、その前年の2020年には、同国全体の就業者のおよそ5%となる56万人以上の雇用機会を創出した。しかし過去2年の間、モロッコの名は観光の議論とは別に、中東の熱い国際的変動の傍にも位置付けられている。

 ちょうど2年前の2020年12月、ベンヤミン・ネタニヤフがイスラエル首相として最後の時期をテルアビブで過ごしていた頃、イスラエルとの関係正常化協定に署名したUAE、バハレーン、スーダンと並んでモロッコの名前があった。こうした協定は当時の米国大統領ドナルド・トランプ政権の仲介によって行われた。過去2年間の両国の政治関係に関する分析は、モロッコとイスラエルの協定は両国の関係に深い政治的変化をもたらさず、正常化は大概が紙面上の合意に過ぎなかったことを示している。過去2年間のモロッコとイスラエルの関係の最大の変化は、イスラエルのベニー・ガンツ戦争相[国防相]の昨年のマラケシュ訪問に際して行われた両国の安全保障協定への署名に限られた。同氏のラバト訪問でさえも、正常化協定署名後1年経ってからのことだった。同氏の訪問は、イスラエル最高幹部による最初のモロッコ公式訪問であった。この訪問の際に、完全な形での外交関係樹立が合意されたのだった。ガンツ氏の訪問から1年、また「アブラハム合意」署名から2年が経過しているが、モロッコは依然テルアビブに大使館を開設していない。

歴史的な非公式関係

 モロッコとイスラエルの関係は新しいものではなく、両国は長年にわたって非公式の形で互いに関係を有してきた。当時のモロッコ国王スルタン・ハサン2世が統治していた1960年代には、両国の間で安全保障上の関係さえ築かれていた。1965年、当時のモロッコ国王はMOSADに対し、対イスラエル戦争の準備のためにカサブランカの高級ホテルで行われた軍司令官や諜報局長を交えたアラブ世界首脳会議の場でスパイ活動を行うことを許可したのだった。このことは、元イスラエル軍事諜報局長シュロモ・ガズィットにより、2016年のイエィディオト・アハロノト紙のインタビューにて明らかにされた。

 同氏は、この歴史的な協力の理由はスルタン・ハサンのアラブ人賓客に対する不信にあるとしている。モロッコとイスラエルは、1967年に何千人ものモロッコ系ユダヤ人のパレスチナ占領地域への移住促進においても緊密に協力した。その後1986年にスルタン・ハサン2世は宮殿に当時のイスラエル首相シモン・ペレスを招き、両国が互いに連携を図っていることを示した。1994年にはラバトにイスラエル連絡事務所が開かれ、モロッコはその2年後には占領地域にも連絡事務所を開設した。「アブラハム合意」署名後、モロッコの同事務所はイスラエル大使館に変わったが、モロッコは現在まで占領地域の連絡事務所を大使館に昇格させる措置を取っていない。

−(2)に続く−

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( 翻訳者:OK )
( 記事ID:54778 )