村を訪れるものはない、家屋は崩壊、死者もおり、食料も不足している
2023年02月09日付 その他 紙
地震が破壊した10の町はがれきと化した。数千人が命を落とし、数万人の負傷者が出ている。捜索救出活動と、援助物資の配布は都市部で活発化する一方で、村落部はほとんど忘れ去られた状況である。多く村では家屋が崩壊し、道路と電気・水道網は被害を受けた。とくにマラティヤ、アドゥヤマン、カフラマンマラシュの僻地部では、降雪のため村にまで達することが困難である。
■メルスィンから出発し、村まで歩いてたどり着いた
アドゥヤマンのレジェプ村、ドアンル村、アクス村はそのほんの一例である。ソズジュ紙に語った教員のケマル・ヴァロルは、レジェプ村で起きていることについて次のように伝えた。
「最初の地震のすぐ後に、村にいる近親者に電話をした。村では多くの家屋が破壊され、がれきの下に閉じ込められている人がいるとの知らせを伝えられた。しばらくすると電話が不通になり、もう一度話すことができなくなった。メルスィンから乗用車の車列を組んでその地域に出発した。
村まで5キロメートルのところにある橋は、地震の後に崩落したようだった。歩いて村まで行った人たちと一度電話が通じた。そこの状況はひどいことになっているとのことだった。およそ100人が暮らす村の家屋のほとんどは全壊し、がれきの下に埋まった人のうち、レジェプ村では3人、シャーヴェルディ部落では3名、アクス部落では11名が亡くなった。」
村に行った人たちとの連絡が途絶えたというバロルは、「ブラム町、ドアンル村とそこに属するアクス部落でも、状況は同じようなものであると知った。5、6軒の家からなるアクス部落は丘の上になる。そこは地震後に発生した地滑りで被害を受けた。命を落としたものたちがいて、生存者も寒さと飢えと闘っている。少しでも早く救援が届くことを望む」と言った。
報道の後にようやく村に入ったと言うヴァロルは、村にいる2名の重傷者と1名の妊婦が本日軍用ヘリコプターでマラティヤに搬送されたと伝えた。
■食べるもの飲むものが足りない
マラティヤ県のアクチャダー地区の村々からも同じような知らせが届いている。村の多くの家屋と家畜小屋は倒壊し、建っているものも被害を受けたと言うギュルカイナク村の村長イブラヒム・ドゥマンは、「多く村人は最初の地震の後に、より安全だといって都市部よりこちらにやって来たが、ここでも状況は大変悪い。幸い死亡者はいない。ただ食べるものと、避難先が足りていない。第二の地震の際にひっくり返ったストーブのため、隣人の家が残念ながら焼けてしまった。人々は車や無事残った家屋でおびえながら暮らしている。雪のため街道から遠い地区には車で行けない。水道管も被害を受けた。電気はようやく4日目になって短い時間通った。まだ支援の手は届いていない」と言った。
■25人が4部屋の家に留まっている
一軒の家に25人が留まっていると伝える村人のユルマズ・カラプナルは次のように述べた。「最初の地震の後、市街からここまでやって来たが、ここでも多くの家屋は住むことができない。隣人たちと一緒に、25人で4部屋の家に留まっている。第二の地震で煙突が壊れてしまい、寒さに震えている。食べるものは底を尽きつつあり、何日さらに持ちこたえられるかわからない。雪のため、村からも出られない。」
■「村から無事との知らせを受けられていない」
組合傘下の24の村のすべてで、倒壊した建物がある戸述べるキュレジクリレル文化連帯組合の組合長ムスタファ・ドゥマンは、「村からは無事との知らせを受けられていない。停電が続き、電話もなかなかつながらない。24の村すべてが被害を受けた。現在まで死亡者はいない。地震の後に、イスタンブルをはじめとする大都市や国外で暮らす同郷者から寄せられた援助物資は、地震から2日目と3日目に発送された。ようやく一部を今日村まで送り届けることができた。食料と衣服の援助物資を村人に配布予定である。少なくとも市街地から援助が届くまで、何とかがんばっていくつもりである」と話した。
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:54978 )